2010/01/28

僕が如何にしてNEW ORLEANSにハマッタか? その1

ポスト @ 13:57:47 | HAVANA通信連動企画

昨日の泥酔(昼1時まで!!)により、かなり体調が悪い(笑)。なので、ちょこっとずつ進めていきます。

それにしてもあんなに「はっぴいえんど」をまじめに聴いたのは何年ぶりだろうか・・・・いろんな裏話を教えてくださったSさん、ありがとうございました〜!!

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ということで、連動企画第一弾「底なし沼、NEW ORLEANSの魔力」ブログ版スタートです〜

本日のお話は

「僕が如何にしてNEW ORLEANSにハマッタか? その1」

です。

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大学時代の僕は、真面目なブルーズ・ギタリストだったのだ。

マディ・ウォーターズでブルーズの素晴らしさに開眼し、吾妻光良氏の「PLAY THE BLUES GUITAR」を1ページ目からメトロノームに合わせて、6畳一間の笹塚のアパートで延々とコピーしまくる根暗大学生だ。

そういえば吾妻さんの演奏を一度も観た事がない・・・・

そんな時、毎回購読していた「シティ・ロード」(懐かしいでしょ?)から吾妻さんの名前を探り当てた。

いつだったかな?おそらく大学3年の時だと思う。ということは1987年(昭和62年)だ。

場所はまだ紀伊国屋の裏手にあった「新宿ピット・イン」。あのションベン臭いところ。

ライブのタイトルは確か「吾妻光良ブルース・セッション」。

メンバーは、

吾妻さん:G 牧さん:B 岡地さん:Dr チャールズ清水:P

梅津さん:アルトサックス 片山さん:テナーサックス 板谷さん:トロンボーン

ゲストに

入道さん:Vo 小堀さん:G&Vo

だったはず・・・・メンバーを覚えている、ということはそれほど僕の中でインパクトがあったのだろう。

吾妻さんはバッパーズのファースト・アルバムで持っているチャキのフルアコを使ってた。

そのギタープレイは想像を絶するほど素晴らしく、僕のテキサス・スタイルへの傾向をより激しくしたのだが、

最も印象に残った曲がひとつあったのです。

それは岡地さんのカウベルの音から始まった。

リズムパターンは当時から愛聴していたボ・ディドリー風のジャングル・ビートだ。

吾妻さんの唄からは耳慣れない言葉が出てきた。どうやら英語には聞えない・・・・。

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そのライブの最後は入道氏のいつもの「スウィート・ホーム・シカゴ」で幕を閉じ、大満足で地下の店を後にし、新宿の街へ繰り出したのだが、その妙な唄とビートが頭の中から消えないのだった。

一緒に観に行っていた当時の彼女に僕は打ち明けた。

「あの変てこな言葉の曲、凄く気になるんだけど・・・・」

すると彼女はいとも簡単にこう言ったのだった。

「あぁ、アレね。『アイコ・アイコ』でしょ?ベルスターズがやってたよ」

ベル・スターズかぁ・・・ニュー・ウエーブの女子7人組のバンドだ。名前は聞いたことがあった。

「そうそう、元曲が入ってるオムニバス盤持ってるからテープに録ってあげるよ〜」

そういって、後日僕の元に届いたのが米国ライノ社から出ていた「A HISTORY OF NEW ORLEANS RHYTHM & BLUES Vol.1」というレコードを収めたカセット・テープだった。

そこに入っていたのは「IKO IKO」ではなく、「JOCK−A−MO」というタイトルだった。JAMES"SUGAR BOY"CRAWFORDという人が唄ってた。

そしてテープに入っていた全ての曲がポップで躍動感があって素晴らしかったのだ!!

「いや〜NEW ORLEANSかぁ・・・・なんかドップリはまりそうだなぁ・・・・」

ドップリどころではなく、結果的に人生まで狂わせてしまうとはこのとき思ってもみなかったのだが(笑)。

以下次号