遂にニュー・オーリンズ上陸です〜!!
******************
ということで、友人S崎を誘い、遂に初の海外旅行に行くことになりました。
時は1988年4月。目的は当然「ジャズフェス」を観るためだ。
まずはアメリカ大使館にてビザの発給を受ける。そう、当時はまだアメリカもビザが必要だったのだ・・・。やたら並ばれされ一日がかりの作業だった。
飛行機はデルタだった気がする。ポートランド〜ダラス・フォートワースを経由してニュー・オーリンズへ。そこからバスでメンフィス〜ナッシュビルへ向かう約1ヶ月の旅。
成田から15時間以上かかり、ようやくニュー・オーリンズに到着した。
空港のバゲッジ・クレームに向かう。すると・・・・・僕の荷物がない・・・・・似たようなバッグはあった。おそらく誰かが間違えてピック・アップしてしまったのだろう、とのこと。
いきなり大トラブル(笑)。
受難はまだまだ続く。
ニュー・オーリンズのイヴェント時のホテル事情をまったく理解していなかった。
「まぁなんとかなるだろう」とタカをくくっていたのである。
とりあえず空港からシャトルバスで「地球の歩き方」で見たホテルまで運んでもらった。
ポーターにチップを渡し、ホテルの中へ。
「Do you have a room?」
しかしながら、ホテルマンは首を横に振るばかり・・・・・
時刻はもう夕方。フレンチ・クオーター内のホテルを何件か回ってみるが全て満室・・・・
夕暮れが迫っている。土地勘もない初めての場所だ。
わけもわからず、とりあえずカナル通りをトボトボと歩く情けないポンニチの二人。
遂にフレンチ・クオーターの端まで来てしまった。辺りはますます暗くなる。
右側に駐車場が見えた。ガタイのいい、警備員が見える。ふと右腰に目がいく。
・・・・・・・・・・ホンモノの拳銃だ(笑)・・・・・・・・・・・
そう、ここはアメリカなのだ。銃を持つのが身を守る常識の国。
荷物もない、ホテルもない、挙句の果てに真っ暗闇、って俺は吉幾三か(笑)
そんな時、あまりにも情けない姿をみるにみかねたのか、一人の白人が僕らに声をかけてきた。
「おい、おまえらどうしたんだ???なんか困ってるのか???
・・・・ん?宿がない??
そうか・・・空いてるかどうかわかんないけど、この先の左側に一軒あるから、ちょっと行ってみな」
おおっ!!!鬼畜米英アメリカ人、なんと優しいのだ!!!こんな敗戦国の若造を助けてくれるなんて!!!
ワラにもすがる気持ちで、そのホテルまで歩いた。歩くこと約10分、なんとかたどり着きロビーに赴いた。
なんと偶然にも一部屋キャンセルが出た、という。
助かった〜〜〜〜。♪おいらは宿無し byツイスト♪にならずに済んだ・・・・。そんな唄が出てくる余裕などひとつもなかったが(笑)
とにもかくにもようやく宿が確保できた。僕の間違えた荷物も空港に連絡を取ってくれて、明日届くという。
こうして初日にして南部の「ホスピタリティ」に触れることができた、忘れられない日となったのです。
********************
宿が確保できた途端、急激にお腹が空いてきた。
ニュー・オーリンズといえば飯である。ガンボ、ジャンバラヤ、エトゥーフェ、レッドビーンズ・アンド・ライスなどなどご当地の名物料理はいくらであるのだ。
しかし、夜も更け、生拳銃を目の当たりにした我々には店を探す余裕など一つもなかった。
とりあえず腹ごしらえのためだけに入ったのは、近くにあったチャイニーズ・レストランだ。
普通「中華」といえば、とりあえずそんなにハズレがなく、どんなものでも目をつぶれるものだが
ここの料理は今までの中華の概念を根本から覆すほどマズかったのであります(笑)。
どんな料理ベタな奴の「創作料理」でも、ここまでマズイものには未だかつて出会ったことがない。
こいつらに「クックドゥー」を教えてやりたいよ・・・・・
とりあえず上陸初日はなんとか過ぎた。
翌日はツーリスト・インフォに行って2週間滞在する宿探しからだ。
これはあとから気がついたことなのだが、このホテルに結局2日滞在したが、場所はカナル通りを北上して高速道路のあるすぐ手前にあった。
ニュー・オーリンズの街に詳しい人ならすぐわかることだが、実は相当危険でヤバイ場所である(笑)。
いやはや「知らない」ということは恐ろしいことですよねぇ・・・・何事もなくて本当によかった・・・・・・
以下次号
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遂にニュー・オーリンズ上陸です〜!!
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ということで、友人S崎を誘い、遂に初の海外旅行に行くことになりました。
時は1988年4月。目的は当然「ジャズフェス」を観るためだ。
まずはアメリカ大使館にてビザの発給を受ける。そう、当時はまだアメリカもビザが必要だったのだ・・・。やたら並ばれされ一日がかりの作業だった。
飛行機はデルタだった気がする。ポートランド〜ダラス・フォートワースを経由してニュー・オーリンズへ。そこからバスでメンフィス〜ナッシュビルへ向かう約1ヶ月の旅。
空港のバゲッジ・クレームに向かう。すると・・・・・僕の荷物がない・・・・・似たようなバッグはあった。おそらく誰かが間違えてピック・アップしてしまったのだろう、とのこと。
いきなり大トラブル(笑)。
受難はまだまだ続く。
ニュー・オーリンズのイヴェント時のホテル事情をまったく理解していなかった。
「まぁなんとかなるだろう」とタカをくくっていたのである。
とりあえず空港からシャトルバスで「地球の歩き方」で見たホテルまで運んでもらった。
ポーターにチップを渡し、ホテルの中へ。
「Do you have a room?」
しかしながら、ホテルマンは首を横に振るばかり・・・・・
時刻はもう夕方。フレンチ・クオーター内のホテルを何件か回ってみるが全て満室・・・・
夕暮れが迫っている。土地勘もない初めての場所だ。
わけもわからず、とりあえずカナル通りをトボトボと歩く情けないポンニチの二人。
遂にフレンチ・クオーターの端まで来てしまった。辺りはますます暗くなる。
右側に駐車場が見えた。ガタイのいい、警備員が見える。ふと右腰に目がいく。
・・・・・・・・・・ホンモノの拳銃だ(笑)・・・・・・・・・・・
そう、ここはアメリカなのだ。銃を持つのが身を守る常識の国。
荷物もない、ホテルもない、挙句の果てに真っ暗闇、って俺は吉幾三か(笑)
そんな時、あまりにも情けない姿をみるにみかねたのか、一人の白人が僕らに声をかけてきた。
「おい、おまえらどうしたんだ???なんか困ってるのか???
・・・・ん?宿がない??
そうか・・・空いてるかどうかわかんないけど、この先の左側に一軒あるから、ちょっと行ってみな」
おおっ!!!鬼畜米英アメリカ人、なんと優しいのだ!!!こんな敗戦国の若造を助けてくれるなんて!!!
ワラにもすがる気持ちで、そのホテルまで歩いた。歩くこと約10分、なんとかたどり着きロビーに赴いた。
なんと偶然にも一部屋キャンセルが出た、という。
助かった〜〜〜〜。♪おいらは宿無し byツイスト♪にならずに済んだ・・・・。そんな唄が出てくる余裕などひとつもなかったが(笑)
とにもかくにもようやく宿が確保できた。僕の間違えた荷物も空港に連絡を取ってくれて、明日届くという。
こうして初日にして南部の「ホスピタリティ」に触れることができた、忘れられない日となったのです。
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宿が確保できた途端、急激にお腹が空いてきた。
ニュー・オーリンズといえば飯である。ガンボ、ジャンバラヤ、エトゥーフェ、レッドビーンズ・アンド・ライスなどなどご当地の名物料理はいくらであるのだ。
しかし、夜も更け、生拳銃を目の当たりにした我々には店を探す余裕など一つもなかった。
とりあえず腹ごしらえのためだけに入ったのは、近くにあったチャイニーズ・レストランだ。
普通「中華」といえば、とりあえずそんなにハズレがなく、どんなものでも目をつぶれるものだが
ここの料理は今までの中華の概念を根本から覆すほどマズかったのであります(笑)。
どんな料理ベタな奴の「創作料理」でも、ここまでマズイものには未だかつて出会ったことがない。
こいつらに「クックドゥー」を教えてやりたいよ・・・・・
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とりあえず上陸初日はなんとか過ぎた。
翌日はツーリスト・インフォに行って2週間滞在する宿探しからだ。
これはあとから気がついたことなのだが、このホテルに結局2日滞在したが、場所はカナル通りを北上して高速道路のあるすぐ手前にあった。
ニュー・オーリンズの街に詳しい人ならすぐわかることだが、実は相当危険でヤバイ場所である(笑)。
いやはや「知らない」ということは恐ろしいことですよねぇ・・・・何事もなくて本当によかった・・・・・・
以下次号