2010/02/08

JAZZFESTに行くぞ〜!  1988年 その1

ポスト @ 13:11:51 | HAVANA通信連動企画

なんだか意図せず、すっかり「旅行記」の様相になってきましたが・・・まぁいいか。自分の価値観みたいなのを随分決定づけたものなのでね。書いておかないと。

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さて、ようやくフレンチクオーター内の宿も決まり、当時まだあった「ハードロック・カフェ」もおのぼりさん感覚で詣で(ホントにどうでも良かったが)、念願のガンボも食し、いよいよ目的のジャズフェスの会場に向かうことになった!!

「NEW ORLEANS JAZZ FEST」は1970年にコンゴ・スクエアで始まった小さなフェスティバルだったが(と言っても、一回目の出演者にはデューク・エリントンとマヘリア・ジャクソンというとんでもない名前がある!!)、郊外にある競馬場「フェアグラウンド」に場所を移し、今やアメリカ最大の音楽フェスティバルとなった。

競馬場に設けられた9つのテントで繰り広げられる音楽は多種多様だ。「ジャズフェス」という名前ではあるが、ジャンルは全くもってガンボのようにごった煮。ロック、フォーク、トラディショナル・ジャズ、ゴスペル、クレオール・ミュージック、ブルーズ、R&B、ソウル、ラテンなど、有名ミュージシャンから地元のアマチュアグループまでなんでも観れてしまう、夢のような日々が送れる場所なのであります!!

チケット代も安い!!・・・いや安かった(笑)。

今調べたら2010年は60ドルもしたらしいが、それでも新潟でやってるのに日本最高峰の山の名前を冠したウンコフェスに比べたら遥かに安いでしょ?

ちなみに1988年当時のジャズフェスの入場料はなんと10ドル。当時の為替は120円くらいだったから、なんと一日1200円で見放題なのだよ・・・。

これを経験しちゃってる身としては、やっぱりいろんな矛盾を感じて、苗場へ行こうという発想すら浮かばないんですよね。

その前に、その金を払って観たいと思うミュージシャンが一人もいないんですけどね(笑)。

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カナル通りの真ん中にあるバス乗り場から、僕とS崎はフェアグラウンドへ向かった。

バーガーキングがあった交差点を右折し、会場付近で「それらしき」人達がみんな降りるので、僕らもバスをあとにした。

音楽って、ある風景と密接に繋がって脳裏に焼きこまれるものなのだが、僕の場合・・・・

そんな場所に出くわした。

フェアグラウンドに歩いて向かうのには、周辺の黒人居住区を通り抜けなければならないのだが。

その道端に無造作に喰い捨てられていた無数のクロウフィッシュ(ザリガニ)の殻と共に思い出すのがある光景。

そんなに大きくない一軒家の軒先で、腰つきの大きいロイクの婆ちゃんが洗濯物を干していた。

ちっちゃなトランジスタ・ラジオからどこからともなく流れてくる唄に彼女が合わせてハミングしていた。

その曲はミリー・リパートンの「ラヴィング・ユー」だった。♪シャラ・ラ・ラ・ラ〜シャラ・ラ・ラ・ラ〜♪というあの曲だ。

まるで映画の1シーンのようだった・・・・僕の中では・・・・・

今でもあの曲を聴くたびにあの光景を思い出すんですよねぇ〜。なぜだか凄く幸せな1カットとしてね。

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そして忘れられない出来事があった。

会場に向かう時、ある白人のカップルが僕らに話しかけてきたのである。

「ヘイ!!ジャズフェスに行くのかい??

僕ら7ドルの前売りチケットが一枚余ってるんだけど、よかったら買ってくれないかな?」

先ほど書いたように当日チケットは10ドルである。3ドルも安い。迷わず僕は「いいよ〜」と言った。

なんだ、アメリカ人って優しい人ばっかりじゃないか!これぞ南部ホスピタリティなんだな・・・なんて思ってた。

ところが財布の中をみると、あいにくこまかいお金がなかった。

申し訳ないなぁ、と思いながら10ドル札を彼らに出した。

「ごめん、こまかいのがないんだけれど、おつりあるかな?」

すると彼らは僕の10ドル札を鷲づかみにしてこう言ったのだ。

「おお!!ありがとう〜!!!ラッキーだよ!!!」

と言って、彼らは僕から足早に過ぎ去って行こうとしたのである。

僕は当然こう言った。

「ちょっと待ってよ!!僕は今10ドル札を出したけど、おつり3ドルがあるか訊いたんだよ・・・・」

そしたら彼はこう言った。

「僕は7ドルでイイって言ったよね?けど君は10ドル出した。当日券は10ドルだ。君はなんの損もしていない。僕が7ドルと言ったのに10ドル出した君の責任だよ。僕はラッキーだった。アリガトね〜」

言葉が通じなかったのが問題だったのか???

いやいや、この時は一応現役英文科の学生である。このくらいの日常会話くらいはこなせる。

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確かに僕は「損」はしていない。普通に10ドルの当日券を買おうとしていたのだから、そのまま流せる問題だ。

けど、こういう発想自体がビックリしたのである。「これって俺の『責任』なんだ・・・・」

確かに彼は「Your responsibility」という言葉を使ったのだ。

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この旅行で、実は「アメリカに永住したい」という密かな野望を持っていたのだった。

こんなに素敵な音楽を生み出したこの国で全てを知ってみたい、と本気で思ってた。

けどこの「事件」を契機に、僕の彼らに対する不信感は一気に強まった。不信感というか、相容れない感かな?

まぁ非常にステレオタイプの見方ではあるが。あれから20年以上経つが、基本的に僕の知り合ったアメ公はすべてこの種類の生き物だ。

どんなに仲良くなろうとも、最終的にはこの「発想」のもとに人格が形成されている。

なんで、こういう発想になるのか?

だから未だに僕にとっての「アメリカ」とは興味の対象ではあるのだが。

大して突っ込んではないけれど、根本思想であるキリスト教の各宗派についてもちょこっと勉強してみた。

もともとが英国国教会から逃れた清教徒(ピューリタン)が作った国である。アメリカが拡大した理由に彼らのプロテスタント的思想の「大義名分」が根本にある。ここでは詳しく述べないが。

だからこそ自己責任が身上であり、だからこそその「自由」の国、アメリカに流れてきたカトリック寄りの「移民」たちが素晴らしい民衆の唄を生み出すのだが。・・・・・いやいや軽々しく書ける内容ではないな・・・・・この件はもうちょっと勉強してからにします・・・・・。

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ともかくだ。

今の僕は「アメリカ」が大嫌いだ。

全てはこの事件に由来する。

嫌いというか、この発想を持つ人間になりたくないのだ。

そもそも世界中の人々が愛する「フットボール」という競技を理解し得ない人達に何を話すことがある???(笑)

彼らは世界の「異端」であり、人類史上最大規模の「実験国」なのである。

で、それは21世紀の今、「失敗」としていよいよ我々の前に結論を見出そうとしている。

それに気がついていないのは当の本人達だけなのだ。そしてGHQにより思想統制をされた事に気づかない日本人達・・・・

しかしながら僕は

アメリカが生み出した音楽を愛好し、ジーンズを愛し、楽器を愛し、Tシャツを愛し、アメリカ50年代の文化遺産のスタイルを生活の基盤としている。

大いなる矛盾だ(笑)。

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僕はこのアメリカに対する矛盾を抱え毎日を生活している。

店のブラウン管から漏れているのはフットボール、しかしスピーカーからは基本的にアメリカという国から生み出された音楽だ。

けど・・・・・

今考えるのは、矛盾を抱えていない人間なぞ信用できないだろ?ということ。

人間誰でも矛盾を抱えて生きている。

そのことを隠して、もしくはごまかして生きていくのか?

それともそのことをはっきり認識して、それでも自分に嘘はついていないから全部受け入れて「笑いながら」生きていられるか?

僕は後者を信用する。

人生に矛盾のかけらもない人達は、もはや新興なんとかとか、啓発なんとかの域だと思う(笑)。

その人達はなんの迷いもないだろうから、それはそれで素晴らしいことだと思うが。だから僕はそのことに対してなんにも否定しない。

けど、僕の考え方とか嗜好とかと違うんだよな。

だからあんまり近寄りすぎないでくださいまし(笑)。ある程度の距離を保てば、うまくやっていけるので、ね。

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旅行中のこういういろんな事を契機として

僕は自分が「日本人」であるということ、というか、今住む場所で生きていくということを凄く意識するようになりました。

なんだすっかり話が本題とそれましたが(笑)。次はキッチリ戻します・・・・ゴメンネ・・・・・・

以下次号