カテゴリー : 日々

このカテゴリーの登録数:96件 表示 : 1 - 7 / 96

2010/08/28

夏休みを頂きますー

ポスト @ 13:54:24 | 日々

明日の29日(日)と30日(月)はお休みさせていただきます。

さすがにこの暑さでバテました(笑)。ちょっとここで連休とってリフレッシュします!!

といっても多分飲んでるだけですが・・・・

ということで、ご迷惑をおかけいたしますがよろしくお願いいたしますー!!

2010/07/20

「つぶやいて」みた

ポスト @ 13:43:30 | 日々

なかなかシビアな3連休でありました(笑)。暇すぎ。

ワールドカップが終わり、なんとなくみんながこう切り替えできない感がありますねぇ、自分も含めて。

まぁこれって毎回そうなんですけどね。ワールドカップ後はみんなと話すこともなく、なんかボーっとしてる。

で、ボーっとしていてもしょうがないので、どこかでギアをいれないといけません。別にフットボール・パブじゃないつもりなんですけどね・・・・。

ブログも随分休んでましたので、これからどういう形にするのかももう一度考え直してます。理想はお店の営業に直結する形が一番なんですが、10年以上こういう形を続けてきても未だに答えが出ないのだなぁ。インターネットとの付き合い方が未だにはっきりしない。

「なんでもやりたいことをやってみよう」と思って始めた「HAVANA MOON通信」も2号で止まってるしなぁ・・・・。

ちょっと切り替えないとダメだね(苦笑)。

**************

普段はほとんど外に飲みに行くことがなくなった私ですが(終業時間&ほぼ休みなしを考えれば致し方ないが)、ひょんなことからとんでもなくイイ店に出会うことが出来ました!!

店の空間、つまみ、酒、器、トイレの全てに至るまで店主のこだわりと人柄が溢れてます。で、値段設定が信じられないくらい安い。「大丈夫なんかい?」と思うくらい安い。はい。完全にハマリました(笑)。こんな店に出会うのも人生の中でそうそうない。

イイ店に行くと、僕はどんなに貧乏な時でもとにかくお金を使いたくなる。そして足繁く通わないといけないと思ってしまう。こんな店が僕の生活の中に必ずひとつのパーツとして未来永劫存続してくれますように、と思わざるを得ない。

自分にとっての「イイ店」ってそういうことだと思う。のん兵衛の立場として、自分のわがままをきいてくれるのがイイ店ではなく、その空間になんとなくはまらせてもらって居心地がいいのが僕にとってのイイ店だなぁ。

久しぶりに「飲ませる立場」から「飲む立場」への目線でいろんなものが見えました。で、やっぱりもっと勉強しなくちゃ、と思った。

果たして僕の店はみんなにどう思われてるんだろうか?

この面倒くさい店主はみんなに愛されてるんだろうか?(笑)

なんかのきっかけで来て頂いてくれたお客さんに僕は一生懸命愛を込めて接しているんだろうか??

果たして「愛」をこめた接し方とはなんなのか????

44年も生きてきて、未だ答えが見つからず。そしてインターネット社会とのつながりもよくわからず・・・・・。

このブログを読んでいる方々で、おそらく一回も店に来たことのない方々が相当いるでしょうし

半年以上店に顔を出していない方々も相当数でしょうが

そういう方々の「顔が見える」=「お店に来ていただく」状態にどうやったらネットを使って出来るのか、そして来ていただいたお客さんにどうやって満足できるように接しられるのか

今週末はそんなことばっかり考えてました。

頑張らなくちゃね・・・・・・・

2010/05/28

僕も「つぶやいて」みた

ポスト @ 10:58:45 | 日々

さっき、朝のニュースでソフト・バンクの前に列を作る映像を観た。

どれだけiPadやツイッターを僕が誹謗中傷してみたところで世の中の流れは変わんないわけで。

少なくとも僕が今生きている生活の中で関わっている人には「複数の人間がいる時に、自分が無意識でしている行動が人に不快感を与えていることがある」ということをわかってもらいたかったんだけれど。多分古来からそれを「マナー」とか「モラル」とか「デリカシー」というのだろうが(全て外来語ですまん)。

そういうのも全て生活している「現在」に立脚しているわけで。

その生活する環境が劇的に変わってきているのだから、言葉が変化してきたように、コミュニケーションの手段も変わっているの「だろう」し。

それについていちいち目くじらを立てている僕は、やはり「変わり者」なんだろうなぁ、って。

あの行列の映像を観て妙に思った次第です。

まぁ、だからいつも言っているように、「人に期待するな」ということですよ。期待するとろくなことはない。「裏切られた」とか「わかってくれない」とか思ってしまうとその人をネガティブに見てしまう。そして多大なるストレスが溜まる。

そうすると全てが悪い方向へ動く。笑いがなくなる。笑いは大事だ。相手を受け入れる時に笑いのセンスは大事だ。

誰もが僕と同じ感覚や思想を持っているわけではない。むしろそんな人と出遭えることが奇跡に等しいのだ。

だからもう言いません。ごめんなさい。

けど言わない「だけ」だけど(笑)。

飯を喰っている人の横でプカプカ煙草をふかすのと同じくらい、僕にとってああいう機械を会話の途中で触ったり写真を撮ったりするのがデリカシーのない行為だというのは変わんない。

だけど、世間の人はそんなことあんまり気にしていなさそうだね・・・・・。

やっぱり僕が変わり者だな。

ああ、出家したい・・・・達観したい・・・・・

僕が坊さんと一緒なのは髪型だけだ。

そして坊さんこそがナマグサで俗物の権化だったりするし(笑)。

ああ、生きていくって面白い・・・・・。

2010/05/25

追悼:ラッシャー木村氏 68歳

ポスト @ 9:37:37 | 日々

追悼、ラッシャー木村氏。

僕の歳くらいまでかな、「国際プロレス」を知ってるのは。そして晩年のジャイアント馬場を「兄貴」と仰いだマイク・パフォーマンスは忘れられない。世界で一番マイクの似合うプロレスラーでした。イイ時代だったなぁ・・・・・。天国で馬場さんとゆっくり酒を飲み交わしてくださいね。

あれれ、これを枕にして昭和歌謡へと移るはずだったのだが・・・・

結局このままNベチャンとYoutubeの映像で過去のプロレス名場面を堪能してしまいました。

昔から僕は新日のストロング・スタイルより全日のふくよかな「プロレス」が好きだったんだな、と実感した次第。

なんだろう・・・・勝ち負けと関係ない世界。その人のダメな部分も包括して楽しめる感じ。ワビサビというか、阿吽というか、芸能の極みというか(笑)。

そう考えると、なんにも期待していない今の日本代表のドタバタ感もなかなか楽しんでるんだよね。すごく全日っぽいかも、見方によってはね。

もしかしたら過去のどの代表より楽しんで見てるかもしれない。

常々「ワールドカップというのは勝ち負けではなく、その国の国民性がどれだけ遺憾なく発揮できているかだ」と言っていますが、これほど日本人「らしさ」が出ている代表もなかなかないかも。

岡ちゃんといい、某国首相といい、昨日はトップの人間からたくさん「お詫び」という言葉を聞いた日でした。

これぞ日本人の「美徳」なのだよ。ね(笑)。

2009/12/27

映画の話(ようやく終了!!)

ポスト @ 11:49:44 | 日々

今日こそ結論を(笑)。

*****************

よく思うのだが、映画を見る際に原作である小説などを先に読んでしまうと、その作品が非常に物足らないことが多い。

「小説」というのは、時間というものが鑑賞者に委ねられている。一冊を一日で読みきってしまう人もいるし、電車の中でチョコチョコ2週間にわたって読む人もいる。

「映画」における時間の権利は表現者にある。大体一時間半くらいが標準かな?短編小説でない限り、おおよそ小説に割かれる時間の方が長いと思う。

その時間制限の中で原作を描く場合、

1.小説のある部分を特化して拡大する場合と

2.全体を端折って(言葉は悪いが)押し込む場合

がある。

1の特化する場合はその小説の「核」を見極めてそこから表現していくかもしれないし、それが核でなくともその小説から一番感じたことを表現していくのかもしれないし

それが鑑賞者の感じたところと違う場合は、映画作品に対して好感を持つ足かせになることがよくある。

2の場合もそうかなぁ?読了後と比べると「物足らない」気がすることが多い。

小説を映画化するというのは、難しい、というか大変な作業であると思う。

******************

映画には映画の見せ方がある。

まずは動く「視覚」。それは普段一人称で見ることの出来るものとは違う視野で鑑賞者に提出することが出来る。

そしてそこに重なる「聴覚」。実生活ではない音響を映像にかぶせることで、そこに新たな意味を持たせることが出来る。

また「時間感覚」も重要だ。実生活で3分しかない出来事の感情の機微を1時間かけて表現することも可能だ。

******************

往々にして、映画の場合は「表現者優位」だと思う。

音楽、絵画、彫刻、写真等はそこに「ある」もので、鑑賞者が自由に感じうる部分が非常に多い。

映画は「総合芸術だ」とよく言われるが、そこに「ある」ものでは決してない。視覚、聴覚、時間感覚を自由に操り、表現者がいろんな形で表現することは可能であるが、鑑賞者が自由に感じる部分は非常に制限される気がする。

その映画が「好きだ」というのは、表現者がその作品で「表現」しようとした「明確な意図」に、鑑賞者が「共鳴した」ということではないかと思う。

すくなくとも鑑賞者に委ねられる部分は上記のものよりも制限される。

******************

けど、それこそが「映画的」なのではないか?

映画館のシートに座り、鑑賞者は作品に身を委ね、約一時間半にわたり表現者の意図に導かれて自分の感情をコントロールしてもらうのが映画。

視覚、聴覚、時間感覚という映画にしか出来ない表現方法の本質をしっかり理解し、駆使して

逆に一時間半〜二時間という作品の時間制限の中で「生きざま」みたいなものを描ききったのが「映画的」なんじゃないかなぁ・・・

人の一生なんかをキッチリ描ききるのには、映画という表現媒体が一番適してるんじゃないかな、と思うことがある。

******************

無茶苦茶暴力的な結論だなぁ・・・・(苦笑)

僕みたいな映画門外漢がこんな事書いていいのかまったくわからんし、また詰めも甘いし、「そうじゃないよ!」って言う人も当然いるでしょうから、まぁ何か思うことがあったら店に来てああでもない、こうでもないと話しましょうね〜。

面倒くさい映画論は辛いですけどね(笑)。

******************

こんな僕でもそこそこに昔の名画は観てるし、好きな映画も当然ありますが

「映画的」っていう話が出た時に、真っ先に思い浮かんだのが

「スティング」と「タワーリング・インフェルノ」の2本でした。

それこそテレビでの再放送も含め何度も観てるんですが、自分でもビックリするくらいに毎回毎回ドキドキするんだよなぁ・・・・

どんでん返しの結末はわかってるのにね。けど、毎回スクリーンにひき込まれます。

「俺たちに明日はない」もそうかもなぁ・・・あのラストシーンの壮絶な場面に近づくにつれ、もはや結末がわかっている故に切なくなったり。そして観終わった後のなんともいえない寂寥感と何故だかわからない達成感はいつも不思議であります。

******************

とまぁ、長々と続きましたこのお話、今回で終了です〜

しかしまぁですなぁ

最初に戻ると「牛の鈴の音」という映画を観てもいないのに、よくもまぁここまで話が膨らんだねぇ、と自分で呆れてますが

思うにあの主人公の爺さんの生きざまが「映画的」なんでしょうね。

だからドキュメンタリーなんだ、と。

多分・・・・ね。

だって観てないから、ね(笑)。

で、誰がなんと言おうとも、あんなに辛いことは思い出したくもないから

誰がなんと言おうとも、絶対観ないのだよ(笑)

2009/12/24

映画の話(もう全然変わってるが)その3

ポスト @ 13:18:43 | 日々

一週間ぶりにようやく時間が出来ました〜

さっそくパート3へ。結論に持っていけるかな?(笑)

*****************

前回書いた表現の手段であるが、

「〜的」「〜らしい」ということをわかっているか否か、というのは僕の中で非常に大事なことだと思うのです。

物事を表現するには必ず「フォーマット」というものがある。

絵画には「描く」、小説には「書く」というそれぞれのフォーマットが存在する。

わかりやすい例としては「俳句」。世界最短の詩で5−7−5というフォーマットの中でどれだけ表現できるかが肝。長い歴史のなかでいろんな縛り(季語)が出来たり(ないスタイルもある)、数少ない語数のなかで、一番効果的に表現するために「韻」というものが生まれたり。

*****************

一応、僕の得意分野(笑)の「音楽」で考えてみると・・・(かつ3分間くらいの流行歌で限定してみる)

音楽のフォーマットはメロディを「奏でる」ということである。

そしてそこに歌詞がついた唄が乗る場合は、言葉をメロディという縛りに乗せるという行為が発生する。

今進行中の「青春歌年鑑」の歌謡曲に沿って考えてみるが

ハマクラさんの「涙くんさよなら」に描かれている心象描写を分析すると、

作者が体験し、描こうと思ったことはどれだかわからないが(わかる必要もない)

1.友人がそばからいなくなり(遠くへ行ってしまったのかもしれないし、亡くなったかもしれないし)、そのやるせない気持ちを大事な恋人がいることでまぎらわす事ができた

かもしれないし

2.大好きだった人にふられ、落ち込んでいる時に新しい恋人が出現し、君のことは忘れないけど、僕はそれをイイ経験としてとらえ先に進んでいるんだよ

かもしれない

また

3.冒頭の「涙くんさよなら さよなら涙くん」というところだけを取り上げて、鑑賞者がおかれたいろんな状況に置き換える

ことも可能である。

鑑賞者がいろんな立場で、そのメロディと選ばれたふさわしい言葉に感情移入できるのが「流行歌」たる所以で、それが「唄的」であり「唄らしい」と僕は思うのだ。

それを具現化するための技術、そしてスタイルを持っているか否かが大事で

僕自身は長い歴史のなかで必然的に残ってきた楽曲からそれを学び、感じている。

唄というフォーマットで表現出来ないと自覚した人は、スタイルを変えてなにかを生み出そうとしている

「メシ喰うな!!」と叫んだ人や、パリの空港で「やっと逢えたね」とのたまった方はその類かもしれない。

まぁ、まったく興味がないので、彼らの小説という手段がどれだけのものなのかは全くわからんが(笑)。

技術、スタイルを意識したり学ばなくても、表現する普遍的な確信に触れることの出来る人々がたまにいる。

それが「天才」と呼ばれる部類の人々だ。

ちなみに僕はそのどれにも属してなくて、こんなことを考えすぎて勝手にハードルを上げまくった結果、唄うことをやめてしまった(笑)。「こりゃぁ、人様からお金を頂戴するにはあまりにも失礼すぎるだろ!!」と。

けどまたチャレンジしてみたいけどねぇ・・・・・来年こそは!!

****************

なぜか僕の師匠である(笑)TW氏が、以前、曲作りのヒントをくれたことがある。本邦初公開!!内緒で紹介します(笑)。

「唄の一番頭とおしりに起承転結の「結」の部分や一番言いたいことをもってくるんだよ。中の部分はいろんな角度からそのことについて描けばいい。それがバラバラでも最後に頭に描いた「結」を持ってくれば、聴き手がいろんな感情移入ができる唄として完結するんだ」

「系図」とか「夕暮れ」「ブラザー軒」とかがその類かな?

これはWさんがスタイルを持っている、ということで。そして唄というものの一番効果的なところを彼なりに理解していることでもある。

こういうのが僕は好みだ。

このあいだ、Wさんの唄が「パクリだ」と言った人がいたが

少なくとも僕は、元詩から感じたその本質を自分なりに崩さずに、助詞のひとつまで異常にこだわって「唄というフォーマット」に合わせるために「並び替える」作業を見てきたし

メロディやギター・スタイルを昔のフォークのスタイルから「借用」してきたのを「パクリ」という言葉で表現するというのは、それこそフォーク・ミュージックというもの、伝承歌やバラッドがラジオやレコードがない時代にどうやって人々のあいだで歌い継がれてきたのか、という「歴史」を知れば間違いである、ということに気づくのでありますが・・・・

でもそういう誤解からいろんなことを知るんだよね。

興味のない人にはどうでもいい話ですが、せっかく好きになった音楽がそういうバックグラウンドを持って生まれてきた、ということに気づくか気づかないかでは「深み」が違う気がするんですよね、僕は。

まぁそれはその人のはまり具合かな???

****************

ということで

本日も本題の結論に行けず・・・・・・

次回に持ち越しだ〜〜〜〜〜

この与太話に結論はあるんだろうか?

つくづく僕の表現スタイルは「唄的」ではないのだな(笑)

****************

忘れてた!!!

メリー・クリスマス!!!!

普段となんにも変わらず営業してます〜

スペシャルな演出が何一つできましぇん(笑)

でも

飲みに来てね〜〜〜〜〜!!!!!

2009/12/19

明日も営業いたします〜

ポスト @ 12:43:42 | 日々,お店

「映画の話その3」を書こうと思ったのですが、時間がなく本日書けません!!

午前中、チャリンコをぶっ飛ばしてたら時間がなくなっちゃった・・・

なのでもうちょっと待ってくださいまし。

とりあえず営業のお知らせを。

明日の日曜日(20日)も営業いたしますー

12月はまだ休んでないかも。11月は1日だけだ。

まぁ「そういうこと」です(笑)。世の中に深刻な不況が押し寄せているのを肌で実感しておりますよ・・・・

平成元年に社会人になって、4年のサラリーマン生活の後、飲食業に転身しましたが、この20年で一番凄い気がします。「何が?」って言わせないでくださいよ(笑)

皆さん、いろんな立場を持って日々生活していて、それぞれの立場でいろんな悩みがあるとは思いますが

せめて飲んでいる時くらいはアホ話でリフレッシュしたいもんですなぁ。

飲めなくなった時こそ、それこそ終わりだな・・・・

幸い僕はバリバリ毎日飲んでます(笑)

と言っても、休んでない、かつ朝までの営業なので外で飲めないのが辛いですがねぇ。

その代わり休みの時は、アホみたいに飲み屋に金を落としてますね。それくらいが僕が世の中に貢献できることなので、ね。

今日チャリンコこぎながら思ったことは

「悩もうと思ったらいくらでも悩めるけど。だったらそんなこといつでも出来るから後でイイや」って。

そういえば、92歳になるうちの婆ちゃんが、このあいだイイ事言ってたよ。

「サトシなぁ、不景気だ不景気だって世間は言ってるけどなぁ、まだまだマシなんだよ。私らは戦争中に米も食えなかったんだから。ご飯が食えてるうちはまだまだ幸せなんだよ」

だって!!!

そうです。まだまだ恵まれてるんですよ、我々は。

そして今までが恵まれすぎてたんですよ。

覚悟して前向きに生きましょう!!

そして僕はみなさんにとって必要な店であるよう頑張らなければね(とかいって相変わらずダラダラやってますが:笑)

うだうだ言っててもしょうがないので、働き倒しますよー

同業者の皆さん、頑張りましょー!!!

ということで、週末もよろしくお願いいたします!!!!