カテゴリー : 音楽
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2009/10/06
次なる企画大発表!!!
昨日、代々木八幡でアイリッシュ・パブ を営んでいるN氏ご一行と久しぶりに酒を飲み交わしたのだが、その時こんなことを言われた。
「最近の木下のブログさぁ、重くてなかなか開かないよ・・・・」
そりゃそうだ。あんなにYouTubeを貼り付けていたら重いに決まってる。
現にアップしている僕のPCでもなかなか開かないのだから(笑)。
ちなみにそのパブ、イイ店らしいので(すまん!!休みが一緒で一回も訪れたことがない:笑)お近くの方、是非行ってやってください!!
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そういうN夫婦の苦情をものともせず(笑)、次なる企画も重〜いです!!!
日本のレコード会社各社が共同で出している膨大なるCDセットがあるのだが、みなさんもどこかで見かけたことがあるでしょう?
その名も「青春歌年鑑」です。
年代は1960年(昭和35年)〜1990年(平成2年)までの30年間。
一年につき20曲のヒット曲を収めているので、全部で600曲という膨大なコレクションなのであります!!
で、これをまたしてもYouTubeで観ちゃおうってわけ(笑)。
けどね、これ全部の曲やってたら、多分3年くらいかかりそうなので(笑)、なんとなく抜粋しつつ、当時の世相も振り返りながらご紹介できたらイイな、と。
へんてこなアーカイブとしてご愛顧いただけたら幸いです・・・・。
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そして、「米国音楽シリーズ」が終盤を迎えようとしている時、店でハイボールを飲みつつTカシが余計な事を教えてくれたのだった。
「キノピーさぁ、「米国」のあとのレココレ、買った?・・・・なに?買ってない????
あの・・・・「英国ロック/ポップのベスト100」やってるよ・・・・・」
なんだって〜?!!
普段レココレなんか買わないから、そんなのチェックしてませんって。
けど、そう言われたら気になるので、翌日レコード屋さんに行って、この号を買ってきましたよ。で、読みましたよ。
もうここまできたらやるしかないでしょう(笑)
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ということで、次回より青春歌年鑑と平行して、「初期英国ロック/ポップの名曲ベスト100」もやっちゃいます・・・・
多分あと2年くらい延々と音楽ネタで押すことになるでしょうな・・・
中断期間は来年の南アフリカW杯です(笑)
「PCが重い」って嘆いている方々は、この機会にメモリー増やしてくださいな。
自分でもとんでもないことを始めようとしてる気はしてます・・・飽きないで最後までやりとおせるかな???
ということで、今回も末永くお付き合いの程を
2009/08/25
追悼:レス・ポールさん 94歳
随分更新が空いてしまいました。すみません・・・・
本日は通常の企画をお休みして、追悼です。
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去る8月13日にギタリストのレス・ポール氏が死去いたしました。94歳!!亡くなる直前までNYでライブを続けていたのですから、もう本当に立派だと思います。
彼が後世に残した業績はやはりこの2点に尽きると思いますが。
1.ソリッド・ギターの開発、および彼のシグネチャー・モデル、ギブソン社の「レス・ポール」モデルの発明
「エレキ」といえば、やはりレオ・フェンダーが開発したフェンダー・ストラトキャスターとこのギブソン・レス・ポールが2大看板でしょう。
そう、あの下手っP〜なジミー・ペイジさんがアル中(それ以外??)よろしくフラフラしながら低く構えていたアレです。
個人的にはやっぱり師匠、二ール・ヤングさんのアレですかねぇ・・・・
2.多重録音のパイオニア
この人とその後のビートルズがいなかったら、「レコーディング」という作業の進歩はありえなかった・・・というくらい凄い方です。
当時のオリジナル盤を何枚か所有してますが、「これ、一人でやってんの?」と驚愕するくらい凄まじい!!そして何度も何度もオーバーダビングしているのに、ノイズがほとんどないくらいのハイファイなサウンドなんです!!
ラジカセやカセットMTRで多重録音を試みた方なら、このノイズレスがどれだけ凄いかわかってくれると思います・・・・。
詳しくはT岡さんの恒例のHPにて
本当に詳しく載ってますよ〜
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各メディアから発表された追悼記事に目を通すと、やっぱりこの2点に話題が上っているのですが。
けどね、最も忘れちゃいけないのが、彼が戦後を代表する稀代のヒットメーカーだったっていうことです。
当時の妻、メアリー・フォードと組んだデュオは次々とヒット曲を連発してたんですね。
時代は「ラジオ・デイズ」ですよ。
当時の最大の娯楽、ラジオの音楽番組にチューナーを合わせます。
それは家族そろった団欒の時間かもしれないし
今みたいに明るくない、まだ星明かりがくっきり見える夜の帳かもしれないし
そんな時にチューニングを合わせたラジオから聴こえてくるのは、今まで聴いたことのないような多重録音を駆使した「未来のサウンド」なんです!!
そりゃぁ、みんな驚いてワクワクして虜になりますわな・・・・
僕にはわかります。
僕らのYMOと一緒。
ラジオから流れてきたあのピコピコ音は驚きでした。
テレビで見たあのルックスは衝撃でした。
まさに僕らの「未来サウンド」だったんです。
細野さんが日本の音楽にどれだけ貢献してきた人なのか、はっぴいえんどもティン・パン・アレイもなんにも知らない。
そんなのは僕らにとったら「後付けの知識」でしかなかった。
僕ら中学生を夢中にさせたのは、今まで身の回りになかったあの電子音だったのでした。
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ということで、YouTubeにて彼らの素晴らしい演奏をとくとご覧くださいませ!!
まずは53年のTVショーから。全部で10シーンありますので、ドンドン飛んでくださいまし。
これもTVライブ。3シーン飛べます。それにしてもレス・ポールさん、ギター目茶ウマ!!手でか過ぎ!!!!
自ら多重録音の仕方を説明してます。必見!!
ドキュメンタリー映画から。4年前の映像で、ということは90歳です!!なんとお元気な・・・・
別のドキュメンタリー映画。
リンクできないのでこちらから・・・
2009/05/05
なんだかなぁもう・・・・
高校時代にあまりにもその数々の唄を聴きすぎたので、頭の中にこびりついて離れないのである。
昔の情景が瞬時に浮かび上がる唄
ある状況になると、必ずといっていいほど頭の中でリフレインする唄
ひょんなことから、おもいもかけず口ずさんでしまう唄
これこそホンモノの「唄」なのだ。こんなものに出会えたことに感謝しなければいけない。いつもいつもそんなことだから、僕には「i-Pod」なぞという見るからにおぞましいものなど必要がないのだ。そして、こんな変てこな脳みそを創ってくれた両親のDNAにこれまた感謝しなければならない。
高校一年の時、とにかく学校を辞めたくてしょうがなかった時があった。けどそんなことをいとも軽々と超えて、僕の心にガッツリと入ってきた曲が「トランジスタラジオ」だった。遠くは近くからしか見れず、憧れは現実の中にのみあった。大好きだった女の子が僕に「PLEASE」と「BLUE」を貸してくれた。フォーク&ビートルズ少年だった僕からみたら彼女は「オトナ」だった。そして彼女は一年で学校を中退した。僕は僕でなにかしなくちゃという衝動にかられ、夏休みに時給400円の工場のバイトをし、水道橋のイケベ楽器で始めてのエレキギター、トーカイのレスポールを買った。
高校二年の時、バンドのギター弾きだった僕が、熊谷市民ホールの夏のライブで初めて人前でヴォーカルをとった。その曲はなぜか「スローバラード」だった。車の免許なんて当然持ってないけど、「ラジオ」が重要なキーワードだった。そんなにレコードも買うことも出来ない、そしてまだ貸しレコード屋も存在しない当時の僕らにとって、ラジオは「魔法の箱」だったのだ。
同じく二年の時に「美大に行きたい」なんていうやましい気持ちを持ったのだが、すべては「僕の好きな先生」だったかもしれない。こう見えても絵は結構好きだ。マティスの絵画時代は誰がなんと言おうと理解しようとしないが。切り絵時代のほうが好き。結論としてあんなとこ行かなくて正解だったのだが。多分僕には居心地が良すぎて、その後がダメになってたと思いますよ。まぁ今もダメダメだけれど・・・・
大好きだった女の子(前述の彼女とは違うのだが:笑)と電話で話をして、そのあと彼女の家まで行って、家の前で延々と立ち話をよくしてた。商店街にある彼女の家へ向かう田舎道でチャリを漕いでるとき、いつも「多摩蘭坂」を口ずさんでた。東京なんかよりよっぽど広い真っ暗な夜空に、本当に中途半端な月が腰掛けてたりした日はなおさらだった。
大学に入って最初のコンパが吉祥寺だった。初めて吉祥寺を訪れた19歳の僕は、明大前から井の頭線に乗っている間、ず〜っと「いいことばかりはありゃしない」を頭の中でリフレインしていた。その日はラッキーなことにゲロを吐かずに済んだけど。そしてあれから僕は吉祥寺に暮らし始めて17年にもなった。
大学一年の秋から僕は笹塚で独り暮らしを始めたのだが、明大前の友達の家で飲んだ時はいつものように甲州街道を歩いて帰って行った。当然タバコをくわえながら。甲州街道は特別だ。僕は彼よりももっと手前だけれど。今でもチャリで走る時は自然とあの曲を唄ってる。そしてサビで現実に引き戻されるのだ。
チャリで国立を通る時、いつもスピードを落とすんだな。そして自然と、43歳になった今でも「僕の自転車のうしろに乗りなよ」を唄ってる。国立はスピードが出るロードチャリは似合わない。そして必ずコースはたまらん坂を選んでる。女の子との二人乗りはいつだって僕の究極の憧れだ。飲みながら好きな子のことを思い出すときは、いつだって頭の中に鳴ってるのは「石井さん」だったりする。
30歳過ぎまで結構ライブをやっていたが、アコースティック・セットだとよく「シュー」を演奏した。僕の世間に対する距離の取り方のわかりやすい見本なのだ。
前の店を閉めてブラブラしてる時、日銭を稼ぐためによく引越しのバイトをしていたのだが、仕事をしながらいつも「ボスしけてるぜ」を唄ってた。40歳過ぎて引越しバイトをやるとは思ってなかったけど。ちなみに仲介業者は「グッドウィル」だった。
そして何度かあった人生の岐路を決断する時、僕は必ずと言っていいほど酒をかみしめながら「空がまた暗くなる」を唄ってる。僕にとっての人生をリセットする曲だ。
ちなみに僕のかけがえのない息子が生まれる時、分娩待合室で2時間にも渡って待っている間唄っていたのは、渡さんの「系図」だった。さすがに本人には恥ずかしくて、というかなんか渡さんに服従する気がして(笑)このことを言えなったなぁ。けど、渡さん、そういうことなのでよろしくです。
僕にとっての「唄」はこういうことだ。退屈な日常生活のなかにしっかりと生きているのが僕にとっての唄だ。
別に誰と共有するつもりもない。僕だけのものだ。「共有」を求めないでもらいたい。ひとそれぞれ。
君達よりも一番辛い思いをしているのは近しい人達だ。それを解ってもらいたい。
渡さんの時でホントにそれは懲りたよ・・・・・
ありがとうキヨシローさん!!
そしてこれからもよろしくお願いします!!!!!
2009/03/27
スタックス・レコード物語
いやはや毎年の事ながらようやく確定申告も終わり、いつもの飲んだくれの日常に戻ることが出来た(笑)。
このブログも懸案のアール・パーマーさんに戻る前に、ひとつだけ。
アールさんの以前の文章にも書いた「スタックス・レコード物語」を読了した。ついでに「アトランティック・レコード物語」も(提供していただいたEさん、有難うございました!!)。
かなりの文量であったが面白すぎて一気に読んでしまった。とにかく果てしない作者の情熱なくしてはあり得ない膨大なインタビュー、そしてある意味病的(笑)とも思える徹底的な資料のリサーチには感服であります!!
今まで疑問だったことがこの本である程度自分で理解できた気がします。
60年代に南部のど真ん中「メンフィス」という場所で、音楽を通した黒人と白人の融合というものが実現しえたのか、そしてそれが同じメンフィスを舞台におこったマーティン・ルーサー・キング牧師暗殺事件を象徴としてどう崩壊していくのか。ブラック・パワーの台頭とその後の70年代のソウル・ミュージックの変化。創業者ジム・スチュワートとエステル・アクストン、そしてその後実権を握る黒人のアル・ベルの関係。アトランティック・レコードとスタックスの力関係も然り。
最初にスタックスの本を読むきっかけとなったオーティス・レディングの件だが、なんだか納得した。やはりスタックス・レコードにとってはオーティスというのは非常に重要な存在であった、と。スタックスの特徴であるあのホーンセクションのリフの基本は、かなりの部分でオーティスが貢献しているのだそうだ。
また、オーティスやスタックスのサウンドが世の白人達(アメ公)に広く知られるきっかけになったのが、最初のヨーロッパ・ツアー(スタックス・レビュー)だそうである。チョコっと旅行ついでな気分で行った面々は、ヨーロッパでのあまりの熱狂的な歓迎ぶりに心底驚いたそうな。メンフィスの黒人街のど真ん中でシコシコ仲間内で練り上げていた自分達の音が、世の中にこんなにも受け入れられている、という事実をこの時初めて知ったそうである。
ということは、僕が想像していた「白人層をターゲットに云々」というのはまったくの勘違いということになる。白人経営者&エンジニアのジム・スチュワートはとにかく「黒いこと」を念頭に製作していたのだそうだ。
有名なモンタレー・ポップ・フェスティバル出演のくだりは結構笑えます。フリフリの服を着てマリファナをモクモクさせている長髪のアホ白人を前にして演奏するMG’Sの面々はとにかくイヤだったそうで。おそろいのスリムのスーツをビッチリそろえたテネシーはメンフィスの田舎者達は強力な違和感を覚えたそうな。同じ白人であるギタリストのスティーブ・クロッパーがこう思っていたのが素晴らしいですな(笑)。
特にジャニス・ジョプリンのことは結構ケチョンケチョンにけなしている(笑)。あぁ、僕の見識は正しかった!!
はい。僕はジャニスが大嫌いなのでありました(というか全く理解できないのだ)。
考えてみたら、僕が「白人層ターゲット」と思っても不思議ではないのだ。後世に残された映像というのは、こういう白人を観衆にしたものしか残されていないのだから・・・・。
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立場が変れば見方も変る、ということでスタックス本とアトランティック本ではアトランティック・レコードの経営者の一人、ジェリー・ウエクスラーの書き方も随分違う。
スタックスとアトランティックの関係というのは、簡単に言うと、製作(スタックス)と全国配給(アトランティック)というものなのだが、ここに当時の慣習としてかなりの理不尽な契約が結ばれているのである。製作は実費込みでスタックスなのだが、原盤の保有者はアトランティックなのだ。今では考えられない契約だが、当時としてはあまり意識されていなかったらしい。
スタックス本ではジェリー・ウエクスラーはほとんど悪人のように描かれているが、アトランティック本では西海岸の白人ロック層にターゲットを変更した共同経営者アーメット・アーティガンと対比して、あくまでもブラック・サウンドを寵愛したジェリーという立場を重視している。
ビートルズのエンジニア、ジェフ・エメリックが書いた本でもそうだった。彼はプロデューサーのジョージ・マーティンのことを「働かない」と酷評していたが、エンジニアという立場から見たらそう写るのであって。彼からみたらそれは「真実」かもしれないが、歴史を紐解く立場の我々からしてみれば、それだけを信じるわけにもいかないのだ。それぞれの立場があった上で事実を検証していく。この作業が大事なのですな・・・・・。で、あとは自分なりの考えを構築すればよいのです。
ちなみに昔「ローリング・ストーン」誌に掲載されたジェリーさんお気に入りの曲20曲のリストがある。
Jerry Wexler’s Own Favorite Tracks
- Professor Longhair -- "Tipitina" (1953)
- Ray Charles -- "I Got a Woman" (1954)
- Big Joe Turner -- "Shake, Rattle and Roll" (1954)
- LaVern Baker -- "Tweedlee Dee" (1954)
- Champion Jack Dupree -- "Junker’s Blues" (1958)
- The Drifters -- "There Goes My Baby" (1959)
- Ray Charles -- "What I’d Say" (1959)
- Solomon Burke -- "If You Need Me" (1963)
- Booker T. & the MG’s -- "Green Onions" (1962)
- Wilson Pickett -- "In the Midnight Hour" (1965)
- Aretha Franklin -- "Respect" (1967)
- Dusty Springfield -- "Son of a Preacher Man" (1969)
- Dr. John -- "Iko Iko" (1972)
- Doug Sahm -- "(Is Anybody Going to) San Antone" (1973)
- Willie Nelson -- "Bloody Mary Morning" (1974)
- The Sanford/Townsend Band -- "Smoke From a Distant Fire" (1977)
- James Booker -- "Winin’ Boy Blues" (1978)
- Etta James -- "Take It to the Limit" (1978)
- Dire Straits -- "Lady Writer" (1979)
- Bob Dylan -- "Gotta Serve Somebody" (1979)
いやはや、曲目だけみると僕にはイイ人に見えるのだが(笑)。少なくとも筋金入りのR&Bマニアですな。
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こんな話に興味があったら是非読んでみてくださいまし。両者ともにアメリカならではの「企業買収」の話がわんさか出てきますが、それもこれも音楽業界に興味があるならかなりエグく楽しめます。
スタックスの方は去年出たばっかりなのでまだ買えると思います。アトランティックは随分前の本なのでキビシイかな????
2009/02/23
お悔やみ: ブロッサム・ディアリー嬢 84歳
ちょっとアール・パーマーから離れて、本日は偉大なる音楽家の訃報を・・・。
僕にとっての「歌姫」、ブロッサム・ディアリーが2月7日、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジの彼女のアパートで亡くなった。御歳84歳。
手元にあるかなり古い「レコード・コレクターズ1985年5月号」で彼女の特集をしている。そのなかでジャズ評論家の高田敬三氏が彼女を紹介している文章をここに載せておきます。
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彼女はその華やかな名前と、ディズニーの漫画映画の登場人物やおしゃべり人形を想わせるような奇妙とさえ言える小さな声のために、彼女の唄をちょっと聞いただけの人には誤ってとられている面が多分にあるが、逆にそれがそのまま彼女の一大個性となって魅力の一部を形作っているとも言える。
彼女の唄をよく聴いている人にとっては、歌の根底に流れるジャズ的要素、よくスウィングする軽やかな唄、清らかとも言える明瞭なディクション、クールでデリケートなフレージング、というようなものが大変な魅力となっている。
そして取り上げる曲の趣味の良さ、作曲における素晴らしい才能も人を引き付けるに充分なものがある。
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ブロッサムは1924年ニューヨーク生まれ(大正13年!!:ちなみに「ニューヨーク・タイムス」によると、今までの「26年生まれ」というデータは間違いである、とのこと)。父はアイリッシュ・スコッティッシュ、母はノルウェイの移民である。第二次世界大戦直後の1946年にウディ・ハーマン楽団のコーラス・グループの歌手等としてキャリアをスタートさせた。
52年にパリに渡り、アメリカに帰国後ヴァーブ・レコードで何枚かのレコードを録音する。
この時期の代表作は「Blossom Dearie」と「Once Upon A Summertime」の2枚。オリジナル盤は決して安くない(というか未だお目にかかったことがないかも)。僕もCDのみの所有であります。
キュートでクールなヴォーカルとスモール・コンボによる演奏はいつ聴いても飽きません。何だかんだ言って、未だに週に一度は必ず店でかけているかも。それも閉店間際の閑散とし始めたときに(笑)。
いくつかのレーベルに録音を残した後、73年に自身のレーベル「DAFFODIL」を興し、積極的なレコーディングを行いはじめる。
やはりこのレーベル時期が彼女のキャリアの集大成なのだと思ってます。
この時期は今までの「ジャズ・シンガー」という枠を大きく外れ、完全に「シンガー・ソング・ライター」としての特異なポジションを確立している。
カバー曲も積極的に取り上げているのだが、それがまた面白い。ロバータ・フラック、ジャクソン5、ビリー・ジョエル、サイモン&ガーファンクルなどなど、完全にジャズの枠を飛び越えた選曲、そしてそれがまた素晴らしいほどにハマッっていうのであります。
オリジナル曲も素晴らしい。特に彼女の好きなシンガーにリスペクトを表した2曲「Hey,John(to ジョン・レノン)」「Sweet Georgie Fame(to ジョージー・フェイム)」は彼女のジャンルという枠にとらわれないスタンスを如実に現している気がします。
78年の来日時には、吉祥寺のジャズ・クラブ「サムタイム」でもライブをおこなったそうな。彼女の大ファンであるべース弾きのMさんにその話を聞いたことがあります。ちなみにあまりの高額さにMさんは泣く泣く断念したそうで・・・・。
ブロッサムは晩年まで故郷のニューヨークでライブを行っていたみたいです。何年か前渡米したA兄が「俺観たけどね」って自慢してました(笑)。まぁ自慢するに十分値しますがね。はっきり言ってうらやましいですわ(笑)。
シンガー・ソング・ライターとしてもジャズ・シンガーとしても、やはり彼女はワン・アンド・オンリーの立ち位置にあると思う。
聴いたことのない方はこれを機に是非耳にしてみてくださいな。
YouTubeで検索してみたが、いくつが動画が残っているのでこちらからどうぞ。
これはダフォディル以前の若いとき。ホント可愛いです!!
Blossom Dearie sings "Surry With the Fringe on Top"
こちらはブログに埋め込みができないので、タイトルをクリックしてくださいまし。
Blossom Dearie performs Lucky To Be Me
Blossom Dearie performs I Won't Dance
現在購入できるCDはかなりの数があります。
ヴァーブ時代のお勧めはこちら。
ダフォディル時代の単独アルバムのCD化はあんまり進んでいないみたいで。とりあえず2枚組みのお得なCDがあるのでこちらを。
ちなみに他のコンピレーション盤も出ているが、なんでもかんでも「カフェ」という名のもとに全ての物事を薄っぺらにしてしまう某氏のスタイルには僕は全くもって共感できないので、僕からはお勧めはしません。僕の場合はそういうところに一切のお金を落とさない、というのが音楽に対する自分なりの真摯な愛情表現だとおもっておりますので。まぁ買う買わないはそのひとの自由ですがね(笑)。
ダフォディル時代のアルバムは何枚か所有しております。お店でお聞かせすることができますのでなんなりと。
また85年までの彼女のカタログを知りたい方は、前述した「レコード・コレクターズ」をお見せいたします。彼女のレコードを蒐集したいと思っている方は、是非ご利用くださいませ。
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ブロッサムの他にも年末から書けなかった偉大な音楽家が何人かお亡くなりになっているので、機をみてご紹介していきたいと思っております。
84歳かぁ。大往生だよな。
今日もブロッサム聴こうっと。
・・・・・・合掌・・・・・・・。
2008/11/18
戯言
ロッド・スチュワート来日公演だが、値段を見てビックリ!!なんとSS席が16000円だと・・・・。お前はフランク・シナトラか!!!!そんな値段出すんだったら、野口五郎のディナーショーでも行くわい。飯が付いて彼のダジャレも堪能できるのだ。そして本人が弾くあのつまんないギターソロも延々と聴けるのだぞ。
ということで絶対行きませんので(笑)。もうコンサートなんか絶対行かない!!
一瞬、アホの麻生が選挙対策のために考えた定額給付金を使えば、たった4000円でロッドに逢えると思ったが、12000円をみすみす大英帝国に持ち去られると思うと腹が立つのでこれも止めた。どうせその金は何人いるかわかんない前妻の慰謝料に当てられるのが関の山だ。
どうしてコンサートがこんな値段になっちゃったんだろう?何万円も払って老人の戯言に付き合う余裕など僕にはない。コンサートに支払う上限は僕の中では5000円である。5000円だって結構な金額だ。魚民でおとなしく飲んでりゃ6時間は楽しめる。
もはやコンサートというものは、麻生が言うところの年収1800万円以上の高額所得者の娯楽なのだよ。貧乏人の僕にはまるで関係ない代物だ。
日本の音楽業界というのは、無形文化財であるポピュラー・ミュージックをいつでも単なる金儲けにしか考えていないんだよな。キャロル・キングも16800円でしょ?おまけに未就学児童はダメなんだって。なんだろうね、この上からしかものを考えない選民思想は。50年代からみんなに愛される曲をみんなのために提供し続けてきた彼女は、この忌々しき事態をどう捉えているのかなぁ?彼女は金持ちを喜ばせるために曲を書いてきたはずじゃないと思うけどね。そして、70年代に訴えてきたことは家族とか身近な愛すべき人々の大切さとかじゃないのかなぁ。そんな彼女が家族という単位の前で自分の曲を唄えないって変な話だ。
まぁ計算高きプロモーター諸氏はそんなことなんてなんにも考えず、単純に莫大な経費と「いくばくかの利益」でそろばんをはじいて出した数字なんでしょうけどね。
寂しい話ですね・・・・・。まぁ行かなきゃいいだけの話しです。
ちなみにキャロル・キングのライブですが、僕は15,6年前にニュー・オーリンズで観ました。彼女の唄と共に同じ時間を過ごしてきたであろう、中年の白人カップル達が回し吸いするもうもうとした紫の煙の中で(笑)。チケット代は確か15ドル。。。。
そんなもんだよ、本当は。ライブの金額なんて。
そういえばローリング・ストーンズのチケットは4万円くらいなのだそうだ。中国公演でそのくらいなのは知っていたが、アメリカ公演もそうだったらしい。それでもチケットは完売。いかにもビジネスマン、「サー」ミック・ジャガーが考えそうな値段設定である。そう考えたら日本での値段は安いと認識したほうがいいのかねぇ?
そのストーンズのライブを一度だけ東京ドームで体感したことがあるが、客観的に見て、とても13000円の金額に見合う音響ではなかったし、パフォーマンスでもなかった。オラが「フェイセス」のロニー・ウッドはヨレヨレだったよ・・・・。
けど、それで満足している人がいればそれはそれで成立することも事実なのだ。銀座で座ってとりあえずウン万円という某首相の妾の子がやっているバーがあるというのを聞いたことがあるが、それでも払う人がいて店と客が満足して関係が成立していれば問題ないのだ。
1970年に行われた「ワイト島ロックフェスティバル」という記録映画がある。DVDにもなっている(はずだ)。5日間で60万人という途方もない人が集まったフェスだが、3ポンドという安価なチケット代にも関わらず、当時のクソヒッピー達が「音楽を商業にするのか!!」と言って暴徒と化し、50万人がフェンスを破って侵入した「伝説」のフェスティバルだ。ライブの間に挟まれる主催者の叫び「クソ野郎共、金を払え!!!」という編集は秀逸だ(笑)。ステージに乱入する客にキレて泣きながら「何で私の唄が聴けないの!!」と訴えるジョニ・ミッチェルの姿には後光がさしています。
おそらく70年のワイト島で暴れまくった当時の若者の生き残りの何百人、いや何千人もが、21世紀になってから4万円払ってストーンズのライブに足を運んでいるはずである。
まるでなんにもなかったように・・・・・。
今回の話でこいつらクソヒッピー(ヒッピーとエセ・ラスタはゴキブリ以下だと僕は思ってます。生活に余裕のある中産階級以上の幻想です。本当に生活に困窮している人々からは、こんなユートピア的思想は生まれません。そしてウッディ・ガスリーが誰のために唄っていたかというと後者なのです)のようなわけの解らないことを言おうとしているのではない。
ただ、これらの金額が観る側、やる側、関係者全てにとって「正価」なのか?ということだ。
少なくとも僕にはそうは思えない。
だから一切のコンサートに足を運ばなくなった。
それだけのことなのであるが。
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胡散臭いことを言うようだが、足らないのは「愛」だと思う。自分でも何を言い出すのかとも思うが(笑)、つまるところはそこではないか、と。
サッカーでもそうだと思う。
12月の「FIFAクラブワールドカップ」の決勝は、日本における21世紀の最悪の建造物のひとつ、日産スタジアムで行われる。どこに座って観ようが、でか過ぎてとにかく観ずらいこのスタジアムでの「一番イイ席」の値段は3万円だ。3万だぞ!!!あんなに観ずらいスタジアムで!!!!(僕は二度と行かない、あそこには)
主催者にサッカーへの愛情が少しばかりでもあるのなら、72000人収容のサッカーを観戦するにはとにかく不都合なこのスタジアムより、1万人弱収容人員が少ないが、63000人入るサッカー「専用」で客席とピッチの距離がとてつもなく近く、臨場感を満喫できる埼玉スタジアムを選択するのではないか。
そこでチケット代が2000円高くなろうとも、満足の度合いはとてつもなく高いと思うのだが・・・・。
あっ、けどこれってキャロル・キングのライブでVIP席21000円を設定して、ウザッタイ子供も排除して彼女の音楽を満喫してもらいたいというやり方と一緒か(笑)。ということはそれも彼らなりの彼女の音楽に対する愛情の表れなのか????
だんだん訳がわからなくなってきました。堂々巡りです(笑)。
結論として、納得いかなきゃ行かなければいいんだよな・・・・・。
それだけのことなんですけどね。
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少なくとも今の僕にとって、サッカーは臨場感一杯のこじんまりとした大宮公園サッカー場で、1500円払って大好きなチームをゴール裏から応援することで大満足だし(問題はそのチームがあんまり強くないということだけ:笑)。
そして、モウロクした過去のレジェンドに高額を払って拝みに行くよりは、彼ら彼女らが光り輝いていた黄金期をパッケージした塩化ビニール盤にこそリアリズムを感じるのである。ただしなるべく3000円以内で(笑)。ここは買い物上手にならねばいけない。
魂の抜け殻、ワンダーミンツのサイボーグと化したブライアン・ウィルソンの今のライブに1万円払うのなら、作家として全盛期のシングル盤の状態のイイものを3枚買いたい。それも彼に対する愛情表現のひとつである。
こういうものの考え方もあるのです。
そして生活に余裕のない人間の究極の判断です(笑)。これが全てではありませんのでね。当たり前ですが。
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アール・パーマー伝の前説でロッドさんのことを書こうとしたら、ついついこんな文章になってしまいました。すみません!!
次回は必ず前に進みます(笑)。
ん〜・・・・・
新年早々、悲しいニュースが入ってきた。今から寝ようと思ってたが、書かずにはいられない・・・・
ルイジアナ出身のボビー・チャールズさんが一昨日亡くなった。71歳。死因は不明。
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シカゴのブルース・レーベル「チェス」の初めての白人契約アーティスト。電話越しにオーディションを行ったレナード・チェスはその声から彼を黒人だと思っていた、という逸話がある。
そのチェスでの「SEE YOU LATER ALLIGATOR」がビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツのカバーで有名になった。
ソング・ライターとしても大事な二曲がある。
ファッツ・ドミノの永遠の3連スワンプ・ポップ「WALKING TO NEW ORLEANS」
クラレンス”フロッグマン”ヘンリーの「BUT I DO」
だ。
その後、「ヤバイこと」でルイジアナを追われ、ウッドストックに居を移した彼は、ザ・バンド等の面々と72年に名作「BOBBY CHARLES」を発表した。
78年にはレヴォン・ヘルムのRCOオールスターズの一員として来日。久保田真琴と夕焼け楽団の「SECOND LINE」にもバック・ヴォーカルとして参加している。
87年には久しぶりのアルバム「CLEAN WATER」を発表。自らが住むルイジアナ・バイユー(沼地)の環境汚染に言及したアルバムだ。
その後マイペースに4枚のアルバムを発表したが、ライブ活動については話を聞くことがなかった。
奥方はマザー・アースのトレイシー・ネルソン。
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ボビーさんはザ・バンドのラスト・ワルツにも参加し「DOWN SOUTH IN NEW ORLEANS」を演奏したが、映画では唯一オミットされたアーティストとなっている。何故だ?
にしきのあきらみたいな、どうでもいいニール・ダイヤモンドはバッチリ映っているのに・・・ちなみにこのロビー・ロバートソンの勝手な人選に頭にきたレヴォンはニール・ダイヤモンド出演時にはドラムキットに座ることを拒否した(信用できる人です)。
ボビーさんの姿は「I SHALL BE RELEASED」の演奏シーンで少しだけ垣間見ることができる。
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彼の音楽からは、なんともいえない人懐こい匂いが漂ってくる。
リチャード・マニュエルの声が生まれつき悲しみをたずさえたものであるなら
ボビー・チャールズの声は、周りの人達を暖かく包み込んでくれる類のものだ。
ウッドストックで録音されたアルバムは、数あるこの地の録音物の中でもベスト1だと信じて疑わない。ザ・バンドのサイド・ワークのなかではずば抜けて素晴らしい。人の繋がりというものが如何に大事なのか、ということをこのアルバムはいつ聴いても思い出させてくれる。
去年、ようやく念願かなってベアズヴィルのオリジナル盤をゲットできたが、スタジオの和気あいあいとした空気がたちどころにわかるそのヴィヴィッドなサウンドはまさに一生ものだった。エイモス・ギャレットのピッキング・ニュアンスは神の域に達している。
アルバムには各曲のクレジットがないが、持っている方々はこのリストを見て、もう一度この奇跡のレコーディング現場の瞬間を想像してください。
聴いたことがない人はすぐにでも買ってくれ!!!!とりあえずコンパクト・ディスクでもいいから・・・・・
<Street People >
Drums: N.D.Smart II Electric guitar: Amos Garrett Acoustic guitar: John Till???(acoustic solo) Bass: Jim Colegrove Jingle Bells: Geoff Muldaur
<Long Face> Drums: Levon Helm or Billy Mundi Piano: John Simon Organ: Garth Hudson (probably) Bass: Rick Danko (probably) El Gtr: Mac "Dr. John" Rebbenack???
<I Must Be In A Good Place Now > El. Gtr: Amos Garrett Piano: John Simon Vibes: Mac "Dr. John" Rebbenack??? Drums: N.D.Smart II Bass: Jim Colegrove
<Save Me Jesus> Drums: N.D.Smart II El. Gtr: Amos Garrett Bass: Jim Colegrove Piano: John Simon Acc. Gtr: ???
<He's Got All the Whiskey> Tenor Sax: Garth Hudson Bariton Sax: David Sanborn !!! Trombone: John Simon Alto Sax: Herman Shertzer Trumpet: Joe Newman Bass: Ben Keith Drums: Billy Mundi Acc. Gtr: Two guitars ??? Geoff???
<Small Town Talk (L/P Version)> Organ: Mac "Dr. John" Rebbenack Drums: Levon Helm Acc. Gtr: Mac "Dr. John" Rebbenack
<Let Yourself Go > Pedal Steel: Ben Keith El. Gtr: Amos Garrett Piano: John Simon Bass: Jim Colegrove Drums: N.D.Smart II Acc. Gtr: ???
<Grow Too Old> Back-up Vocal: John Simon El. Gtr: Amos Garrett Piano: John Simon Drums: N.D.Smart II Alto Sax: David Sanborn Bass: Jim Colegrove
<I'm That Way > Drums: N.D.Smart II Dobro: Ben Keith Piano: John Simon Bass: Jim Colegrove Acc. Gtr: ??? El. Gtr: Amos Garrett
<Tennessee Blues > El. Gtr: Amos Garrett Accordian: Garth Hudson Acc. Gtr: ??? Drums: N.D.Smart II Bass: Jim Colegrove Violin: Harry Lookofsky
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今日は彼を偲んでアルバム全部を聴き返します。
最後は店が閉まってから一人酒で98年発表の「Secrets of the Heart 」からセルフ・カバーの「BUT I DO」を聴くだろう。スウィング・アレンジのシンプルな演奏は僕の大のお気に入りです。
一生聴き続けられる、宝物のような音楽を僕らに残してくれて本当にありがとう!!
合掌・・・・・・