カテゴリー : HAVANA通信連動企画
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2010/03/31
ジャパニーズN.O.ミュージック紹介
いやはや結局14回分書いたのかな?予想以上に長くなってしまったニュー・オーリンズ編、ようやく最終回でございます。
最後は日本におけるニュー・オーリンズ・マナーのレコードの紹介を!!
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70年代半ばに、日本でも好き者の間でニュー・オーリンズ・ブームがあった。・・・のだそうだ。そういう現場の話をよく聞いた。今の50歳半ばくらいの人達かな?
「はっぴいえんど」が解散して「日本語のロック」が拡散し始めた時代。そして、本場のロックやブラック・ミュージックがどんどん紹介され始めた時代だ。69年に創刊された「ニューミュージック・マガジン」が力を持っていて、その他ロック喫茶を中心にミニコミ誌が数々の情報を責任を持って発行されていた。
で、ミュージシャンとしてジャパニーズ・ニュー・オーリンズの音楽に欠かせないのが細野晴臣、大瀧詠一、久保田真琴の3人。
彼らの当時の話からよく聞かれるのは、やはりドクター・ジョンの「GUMBO」、そしてリトル・フィート。実際はっぴいえんどの最後のレコード「HAPPY END」のロス録音での隣のスタジオでは、フィートの「DEXIE CHIKEN」がレコーディングされていたのであります!!
てな感じで、こんなのがあります。
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このレコードは僕がガイジンに「日本のロックで一番イイものを紹介しろ」と言われた時、必ずプレゼントするのがこれ。過去にCDでこれを何枚買ってプレゼントしたかわからん。
「世界から見た日本人」という国民性の金字塔です。HONDA、TOYOTA、SONYと同じくらいの意味がある。
海外のイイものを上手く消化し、ブレンドして新しいものを生み出すこと。これぞ日本人の特権なのだな。
決して海外カブレではないのだ。なぜなら完璧に血として肉として消化しているから。この時期の細野&林立夫のリズム・セクションは世界に出しても恥ずかしくないくらい神がかっております。
ニュー・オーリンズ〜ハワイアン・エキゾチック〜沖縄が一滴のソイ・ソースで完全に新しい料理に生まれ変わった唯一無比の音楽。ちなみに異常に子供受けするのもミソ(笑)。音楽に笑いの要素は大事なのだな、僕にとって。
この後、細野さんは「はらいそ」「PACIFIC」を経てYMOのファースト・アルバムへ向かう。その作業は「ポリリズムの電気化」なのだ。ポリリズムとは拍の一致しないリズムの同時演奏のこと。ニュー・オーリンズのビートをこの観点から検証することに気づかせてくれたのはこの細野さんの一連の流れだった。
そう思ってYMOのファースト・アルバムを聴くと全然違う印象を持ちますので、是非聴いてみてくださいまし。特にA面ね。
細野さんがこの作業を極めなかったら、パフュームも存在しないのだよ(笑)。それは困るだろ、みんな・・・・・
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とにかくこのアルバムが凄いのは、大瀧氏が取り組んだまさに「極上の変態」とも言えるリズムへの執着だ。唄までも「音」と「インパクト」「笑い」の3要素だけを突き詰めている。
そしてその執着を具現化したのが旧知のキャラメル・ママの4人。細野晴臣、林立夫、松任谷正隆、鈴木茂、どのパートを聴いてもちょっと信じられないくらい凄いことになってます。「ロックン・ロール・マーチ」の林立夫のドラミングなんてジガブー(ミーターズのドラマー)と比べてもなんの遜色もない。いやはや皆様が当時に捕まらなくてホントによかった(笑)。
これは30周年アニバーサリーCDがお勧め。僕の持っているエレックのオリジナル盤に一番近い音です。リマスタリングは福生のスタジオで本人がやってます。だからキチガイみたいに音にこだわっている。こんだけ音をわかっている人もなかなかいないよな。誰か大滝さんによるロックン・ロールのリマスタリングCDシリーズとか企画すればいいのに(笑)。
で、ボーナス・トラックの充実度もピカイチ。キャラメル・ママの凄い演奏がインストでたっぷり聴くことが出来ます。
ちなみに収録曲の「 FUSSA STRUT (PART II) 」は後に改作されてウルフルズの「大阪ストラット」へと受け継がれた。元ネタは当然ミーターズの「CISSY STRUT」です。首謀者は身内の伊藤銀次。
余談であるが、ウルフルズの当時のプロデューサーの伊藤氏が手がけた作品「ガッツだぜ!!」の元ネタは当然我がセルティック名誉サポーターのロッド・スチュワートの「I'M SEXY」である。肝はチョッパーベースの♪オンペケ・オンペケ♪っていうところ。
そのロッドさんの唄はパクリ裁判で敗訴したブラジルはジョルジ・ベンの「TAJ MAHAL」。(アメリカのブルーズ・マン、タジ・マハールはアンサー・ソングで「ジョルジ・ベン」という曲を出してますがね(笑))
そしてそして
多分「大阪」と言うキーワードだけでウルフルズをパクッたのが関ジャニ∞の「ズッコケ男道」
凄い。ほら、ブラジルからジャニーズまで全部繋がったよ(笑)。
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ということで、やっぱりもう一回書きます・・・・終わらなかったなぁ・・・・・
2010/03/19
「お勧めアルバム」レビュー
いやはや更新の間隔が空いてしまい申し訳ありませんでした!!
当然、確定申告にかかりきりになっていたわけで・・・・
ようやく提出し、晴れ晴れとしております。毎年のことですが、これが終わって花見でバカ飲みするというのが一年の恒例になっておりますな(笑)。
さて今回は、「HAVANA通信」で触れたお勧めアルバムのレビューを。
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1.PROFESSOR LONGHAIR「NEW ORLEANS PIANO」
ニュー・オーリンズの典型的なセカンドライン〜ルンバR&Bが確立された音源ですな、これ。まずは一家に一枚です(笑)。
49〜53年のアトランティックでの録音集で、教授のピアノとヴォーカルスタイルは完全に確立してます。というか、後世死ぬまで全く変わりません(笑)。あとはバックのメンバーがどれだけこの特異なスタイルを理解して演奏するか、そしてその相性がどうかというところにかかってきます、この人の場合。
で、その最良の形がこのヴィンテージ録音集。後期のアリゲーター盤やユニバーサル盤も好きだけど、どれか?と言われたらこれしかない。
個人的にはデイブ・バーソロミュー楽団と録音した4曲、「IN THE NIGHT」「TIPITINA」「BALL THE WALL」「WHO'S BEEN FOOLING YOU」に尽きる。
教授の特異なピアノスタイルを完全にバンドの音として昇華した素晴らしい演奏です。
メンバーはドラムにアール・パーマー、ベースにエドガー・ブランチャード、サックスにリー・アレンとアルヴィン’レッド’テイラー。
ドラムはやっぱりアール・パーマーさんなのです!!この人のピアニストの左手に反応するセンスのよさったらない。
そうそう、僕の中でピアニストの良し悪しは「左手」にかかっているのです。右手高音部のフレーズのきらびやかさや黒鍵を多用するオリエンタルな感覚も教授が生み出したニュー・オーリンズ・スタイルの特徴的な部分ではあるのだが、左手部分のバッキングのビート感に注目するとより面白さが増しますよ〜。ルンバを基本に2拍3連のビートがバシバシアクセントをつけていってるんですな。
余談だが、ベースのエドガーさん、元々はギタリストで、リック・レコードにシングル盤とアルバムを残しているが、昔ラウンダーからアナログで出た「TROUBLES TROUBLES」というオムニバス盤に入っている未発表音源が無茶苦茶ジャンプしていて素晴らしいので、機会があったら聴いてみてくださいな。
EDGAR BLANCHARD & THE GONDOLIERS
「BOPSODY IN BLUE」「BLUES CHA CHA」
の2曲です。
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2.A HISTORY OF NEW ORLEANS RHYTHM & BLUES Vol.1〜3
時は1987年にカリフォルニアの再発レーベル「ライノ」からリリースされたコンピ盤。まさに僕はこれでハマッたのでした。
ライノの素晴らしいところは、まず音がよいこと。ヴィンテージ録音の最良の部分を違うフォーマットできっちり押さえてくるのだ。SPや7インチはLPで、アナログはデジタルで。フォーマットは変われど音の一番の「肝」はしっかり再現する。
英チャーリーやエースのちょっと過剰にイコライジングした音も嫌いではないが、ライノの音は説得力があるんだよね(笑)。
それと、当時のライノがよかったのが、レーベルの縛りがなく本当にいい曲ばかりセレクトしてくれること。視点が完全に視聴者の立場なんですな。そう、好きな女の子に大事な曲をセレクトしてカセット・テープに録って、ジャケットまで自分で手作りするあの感覚を商業ベースに乗せた、信用できる音楽マニア集団なのですよ。
現在はワーナー傘下でリプリーズ音源のリマスタリング再発に打ち込んでいますが、どれを買っても素晴らしい内容です。音もCDというフォーマットを考えると、これ以上ないであろうアナログ感に満ち満ちた音の作りです。ライノであればどれを買っても心配ない!!オーバーブーストだけしたウンコみたいな音を「リマスタリング」だと思っている日本の音楽業界の人々よ、もう少し耳を鍛えないとダメですよ、ホント・・・・
それにしてもこのシリーズ、ほんとに捨て曲なし。ニュー・オーリンズR&Bの流れをこれほど的確に押さえたものを僕は知りません。CD時代でもこんな良質なコンピ盤って出てるんだろうか????
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3.JAMES BOOKER 「NEW ORLEANS PIANO WIZARD:LIVE!」
ドクター・ジョンの幼なじみで、真の天才&キチガイ&ジャンキー&ホモのジェイムス・ブッカーの77年スイスはチューリッヒでのライブ盤。この人、もっともっといろんな人に正当に評価されて聴いてもらいたいです。知らない人、本当に多いんだよね・・・。
さっき言ったピアニストの左手の件ですが、この人の場合ちょっと理解しがたいです。
ちなみに僕はピアノが弾けません。弾けるのは「BIG CHIEF」の右手部分とクリスタル・キングの「大都会」のイントロ部分(笑)、それと「LET IT BE」の簡易ヴァージョンのみ。まぁCとGとAmとFを押さえるだけ(これ、ポールのニュアンスまで完璧にコピーしようとすると結構難しいんですよ〜)。
ドラムもそうだけど、どうにも右手と左手が別々なリズムで動くという信号が脳に行き届かないみたいでね(笑)。
けど、「弾きたい」という欲求から結構努力はしてみたので、どれだけ難しいことをやっているかは感覚的にわかります。
で、ブッカーさん。弾いている音を頭の中で自分の指に置換してみると、全くもってそのリズム感は理解不能です・・・・
とんでもないことをいとも簡単にやってます。ピアノ弾ける人だったら余計わかるかもね、そういうのって。
YouTubeで調べたら意外や意外、映像が結構残っているのでUPしておきます。
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4.DR.JOHN 「GUMBO」
ロック関連の人達からみると、ニュー・オーリンズR&Bの登竜門的なアルバムがこれかもしれない。名盤です。
50年代N.O.R&Bの名曲をリメイクし、ロック世代に過去の遺産の素晴らしさを提示した永遠に聴き続かれなければならないアルバムでしょうね、これは。
僕の場合、このアルバムに出会ったのは遅かった。オリジナルR&Bにひとしきり馴染んだあとにこのアルバムを購入したのだ。だから、僕にとってのこのアルバムはR&Bをどう解釈し発展させていくか、という指針となるものでした。当時はまだバンドをやっていたのでね。
このレコードに関しては次回もう少し言及します。
僕は今はこれ2枚持ってます。
当時買った日本盤とアトコのオリジナル盤。通常オリジナル盤を購入するとそれまで持ってたものは手放すようにしているのだが、これは無理。なぜなら彼のサインが貼り付けてあるから(笑)。
時は1990年。青山のスパイラルの地下の「CAY」でドクター・ジョンのライブが行われた。
うちのバンド「大黒屋」でドラムを叩いていた三宅”BIG CHIEF”道朗氏が急死した後、ちょっと経ってから行われたライブだったので、妙に特別な気持ちで会場にいったのを覚えてます。
ライブ終了後、確かもう一人の師匠、吉岡さんと一緒に楽屋に入ったんだったよな。
で、そのときなぜか用心棒みたいなことを請け負っていたボ・ガンボスの故どんとに話をつけて楽屋に侵入したのだった(笑)。
その時のサインがこれ。実はドクターのサインより、僕の中のサックス・レジェンド、アルヴィン”レッド”テイラーにサインをもらえたほうが嬉しかったりするのだが(笑)。
「MUSIC IS MAJIC」・・・「G」じゃなくて「J」なのがポイント。
酔っ払った時に自慢げにこれを見せびらかしたら、感激したLヨナさんが事あるごとにパクってる(笑)。
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5.ALLEN TOUSSAINT 「THE WILD SOUND OF NEW ORLEANS by TOUSAN」
トゥーサンさんのデビュー・アルバムがこれ。オリジナル盤欲しい・・・・・
アレン・トゥーサンという人はニュー・オーリンズを語る上で欠かせない人だ。立場はアイリッシュ・ミュージックにおけるドーナル・ラニーに近いかもしれない。
パフォーマー、作曲家、アレンジャー、プロデューサーとさまざまな顔を持つアレンさんだが、特に彼が60年代のニュー・オーリンズ発のヒット曲に貢献したことは計り知れないし、ミーターズと共にニュー・オーリンズ・フォンクの発展を促進したのも彼である。
70年代にもリプリーズから素晴らしいソロ名義のアルバムを3枚リリースしているが、
でも僕が一番好きなのはこの58年のデビューアルバムなのです。
当時のベイジン・ストリートのバレル・ハウスの匂いを色濃く残し、タフな生活を酒と音楽でポジティブな発想に無理矢理持っていく、この地でしかあり得ない能天気で開放的なカリビアンチックなR&Bが全面に展開されているハッピーなインストルメンタル・アルバムです。
僕の中では如何にもニュー・オーリンズというのがこれ。
ちなみにCD時代にはあのドイツの変態レーベル「ベア・ファミリー」が「コンプリート・セッション」というアホなCDをリリースしている。
興味があるかたは是非購入してみてくださいまし。
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もう一枚、ロニー・バロンのレコードを紹介しているのだが、これは次の回にからめてレビューします・・・
次回で、ようやくこの企画終了
けどホントは書ききれてないんだよな(笑)けどキリがないのでね。
もっともっとの方は是非お店で!!!!
2010/03/03
NEW ORLEANS 書籍紹介
なんと。
バリバリと相変わらずYouTubeの動画をブログに貼り付けているのだが、一昨日から突然僕のパソコンで観れなくなった。
けど、他の人は観れているらしい・・・・うぅ・・・・どうなってんだ???
S野さん、ヨロシクね〜
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長々と続いた「旅行記」もようやく終わり(笑)、今回はニュー・オーリンズを知る書籍の紹介をします。
まずは僕の師匠、文屋章さんがまとめ上げた渾身の一冊「ニュー・オーリンズ・ミュージック・ガイド・ブック」を。
なんにもないところから手探りで宝の山を探した25年前を考えたら、こんな素晴らしい本があるというのが奇跡だし、皆さんは感謝しなければいけないのだよ(笑)。
とにかくこの一冊があれば、あなたはなんとでもなると思います。ここから自分の好みに合ったものを探し出してください。そして底なし沼にズブリとはまってくださいまし。
冒頭の「ニューオーリンズ オリジナルLPコレクション」に僕も2枚ほど提供させてもらってます。
2冊目はドクター・ジョンの自伝「フードゥー・ムーンの下で」。
50年代のR&B全盛期のこの街をリアルに体験し、そして街の衰退までをも見てきた彼ならではの生きた話が、これでもかと書かれております。
好きモノにはたまらない逸話満載で、読みながらヨダレが出てきます。そしてこの街が如何に猥雑だったか、そしてそういうところからしか、ああいうハッピー・ミュージックが生まれないのだ、ということをまざまざと感じます。
まぁ内容の1/3は彼のドラッグ話ですけど(笑)。
あとは彼の盟友であり、未だその実績から考えれば正当な評価がされていない奇才、いや、真の天才ピアニスト、ジェイムス・ブッカーにかなりのページがさかれており、それも感動モノです。
残念ながらこの本は絶版なんだよなぁ・・・・
なかなかに入手困難かもしれませんが、たまにヤフー・オークションとかにも出ますので、根気よくチェックしてみてくださいね。読んで絶対損はしませんので・・・・・
3冊目は小説なんですが、Eアニー・ブルーという女性作家の「アコーディオンの罪」という本。
これは「ニュー・オーリンズ」というカテゴリーだけではないのですがね。
内容は・・・
イタリアはシシリーのアコーディオン職人が、一発当てようと新大陸「アメリカ」に乗り込むんですけど、彼が持ってきた緑色のアコーディオンはやがて彼の手を離れ、アメリカ大陸に夢を求めて移住してきたいろんな移民たちの手に渡り、そのアコーディオンに関わった人達の生活を描写していく、というもの。
その最初の上陸場所がニュー・オーリンズ。
テックス・メックス、ケイジャン、ザイディコ、カナディアン・ケルトなどなど、僕が大好きなアメリカ大陸の生活のために必要な音楽と、そしてその家族の生活が実に生き生きと描かれております。
音楽的史実も「よくもここまで調べたなぁ・・・・」と思うくらい忠実に書かれております。
こういう本が、大資本に犯されたどうでもイイような音楽ではなく、生活に密着した本当の意味での「アメリカン・ミュージック」に触れるきっかけになってくれればこれ幸いです。
最後は泉ケイさんの書き下ろしエッセイガンボ!―ジャズの生地、ニューオーリンズに万感の思いを込めて 」「を。
ケイさんとはひょんなことでお知り合いになり、92年&93年のニュー・オーリンズ訪問時には現地で大変お世話になりました。
彼女がいなかったら、うちの店で出している「ガンボ」はあり得なかった。そう、ケイさんの紹介である方からガンボの作り方を教わったのです。
この本のイイところは、現地で生活するナマの視点でこの街を体感できることです。
詳しくはリンクで貼ってあるアマゾンの「カスタマー・レビュー」を。
はい。書いているのは私です(笑)。
以下次号
2010/03/01
92年&93年ライブ・レポート 2
こんなに長くこの企画を書くとは当初は思わず・・・・あと3回でなんとかクローズさせます〜!
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さて、2,3回目のニュー・オーリンズで観たライブで印象に残った他のものは・・・
僕の中で勝手に「小唄」と言っているジャンルがあるのだが(笑)。
1945年(終戦)前後のスモールコンボによる唄モノのジャズだ。
有名どころは、キャピタルでポップシンガーとして有名になる前のナット・キング・コールとかかな?
その流れでネリー・ラッチャーという女性シンガーがいるのだが、なんと彼女がジャズ・フェスに出演していたのであります!!
こういう小粋な音楽にナマで接する機会などなかなかないので、ホントに嬉しかった〜。一番前のかぶりつきでじっくり堪能させていただきました。
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サム・クックの正統な後継者、ボビー・ウーマックのライブも最高だった。
観客はほとんど黒人のオッチャンとオバハン。あとは僕のような好きものの色の薄い人達がちらほら。
ロイクの人達はほとんどの曲を唄えるんですね。だからボビーさんは語りの部分とシャウトだけ。あとはイントロが始まるとオバチャンたちが全部唄っちゃう(笑)。
ソウル・ショーは芸能だ、ということを思いきり体感しました。まぁ演歌と変わらないんですね(笑)。
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「現地もの」は
遂に体験したファッツ・ドミノ。
まさにロックン・ロール・レジェンドです。グランド・ピアノの「腹押し芸」もしっかり堪能しました。ゲスト・プレイヤーには引退したと思われていたヒューイ・ピアノ・スミスが!!そしてバックはデイブ・バーソロミュー楽団。デイブさんがトランペットを吹き、サックスにはリー・アレンもアルヴィン・レッド・テイラーもいた。まさにN.O.の50年代R&Bを作り上げた人達がステージに集結していたのでありました。
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忘れちゃいけない、ニュー・オーリンズといえばネヴィル兄弟だ。
彼らのライブは多分トータルで10回近くは体験しているのだが、この時のライブは本当に忘れられない。
場所は郊外にあるクラブ「ティピティナス」。
そう、あのプロフェッサー・ロングヘアの曲の名前を冠した伝説のクラブ。そしてアップ・タウンにあるその場所はチョピトラス区域にある。
この区域を仕切るブラック・インディアンの酋長はビッグ・チーフ・ジョリー”ジョージ・ランディ”。ネヴィル兄弟の叔父さんであり、その「ワイルド・チョピトラス」のアルバム製作がネヴィル・ブラザーズ結成のきっかけとなったのである。
そう、ここは本当の意味の彼らの「地元」なのだ。
古い木造の体育館のようなそのクラブでは、いつものようにバリバリなセカンド・ライン・ファンクでステージが進行し、そして黄金のメドレー、アメイジング・グレイス〜ワン・ラブでいつものように終着するかとおもったら・・・・
なんと3回もアンコールに応えてくれたのだった!!
そして最後にステージに出てきたのは兄弟4人のみ
アート、チャールズ、アーロン、シリルの「リアル」ネヴィル・ブラザーズ。楽器はチャールズが持つカウベルひとつ。
お世辞にも広いとはいえないステージの4人にシンプルなスポット・ライトがあたった。
長男のアート(うちの親父と同じ年)が唄い始める。
・・・・これは・・・・・!!
ワイルド・チョピトラスのアルバム、B面1曲目の「インディアン・レッド」だ!!!!!
もうその瞬間から僕は号泣、失禁寸前(笑)
ド派手なファンクで当時は「世界最高のライブ・バンド」と言われていた彼らだが、この時に兄弟の絆と伝統を歌い継ぐ意志を垣間見た気がした。
ネヴィル兄弟・・・信用できる人達であります!!!
インディアン・レッドはこういう曲
ネヴィル兄弟全盛期の映像をいくつか・・・・
そしてお腹いっぱいなんだけど、いつも感動して涙してしまう黄金のメドレー(笑)
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あとね、もうひとつ!!!!
ジャズ・フェス会場の「ゴスペル・テント」で観たアーロン・ネヴィルのゴスペル・ライブ!!!
なんと全曲がサム・クックが在籍したソウル・スターラーズのカバーでした・・・・・
これまた号泣。
感極まった僕は、終演後すぐさまステージの裏に回り、アーロンと熱い抱擁を交わしたのでした(笑)。筋肉質過ぎましたよ、彼の二の腕は・・・・・
いろいろ探したのですが、YouTubeにはそのゴスペル・ライブの映像は見つけられず
けど、探してたらどうしてもこの曲を聴いてもらいたくて載せちゃいます。ランディ・ニューマンの名曲です!
カトリーナのあとにこれを聴くと、今までと違う感情が湧き上がります・・・・
本日最後は、兄弟仲良く唄うアートの50年代の出世作&最高のパーティー・ソングで!!
以下次号
2010/02/24
92年&93年ライブ・レポート 1
久々にパソコンのスウィッチをオンにして更新です〜
オリンピックどうなってる???・・・・全然観てない・・・・・
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92年と93年は連続して行ったので、どちらの年に誰を観たのかの記憶が曖昧です。
まぁその中で記憶に残るものをいくつかピックアップしてみます。
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一番の衝撃はTEX MEX界の「ジミヘン」と称されるスティーブ・エスティファン・ホンルダン(英語名:スティーブ・ジョーダン)かな??
当時はアコーディオンに異常なる興味を持っていて(未だにそうですけど)、アコ音楽ばっかり聴いていた。この前後にボタン・アコを江古田の「クラン・レコード」で購入していたのだが、なんにも情報がなく、どうやって弾いたらいいのかまったくわからない状態だった。
確か92年にニュー・オーリンズに行く直前にスティーブ師匠は来日していて
場所は渋谷クアトロ。
そのライブも衝撃だった。
なにせそのルックスである。
「ロン毛」に「アイパッチ」そして3ピースの黒い細ストライプのスーツの「社会の窓」はなぜか全開(笑)。
いや〜、観ているほうもどうしていいかわかりませんでしたよ・・・・・
そして今回は一番前で、そして僕のわずか2メートル手前でその脅威のプレイを目の当たりにしたのであった!!!
場所はフレンチ・クオーター内の「スナック・ハーバー」だ。
彼の弾いているホーナーのコロナ・ツーというアコは「ダイアトニック式」と言われるもので
ハモニカが3本入っていると思えばわかってもらえるかもしれない。
ハモニカは1つの穴を吹くのと吸うので音が変わるでしょ?それと一緒で、ひとつのボタンを押しても蛇腹を押すのと引くので音が変わるのだ。
普通のアコ奏者は蛇腹を押したり引いたり、結構マメにおこなってフレーズを作っていくのだが、スティーブ師匠の場合はそんなの関係なく、蛇腹を押しっぱなしだったり引きっぱなしだったりで、楽器の構造上「ありえない」ような6度の音を挟み込んでくるのです!!!まるで鍵盤アコの「クロマッチック」のようなスムースさである(クロマッチックはひとつの鍵盤に対し、蛇腹を押しても引いても音階は変わらない)。
ドン・サンティアーゴ〜フラーコ〜ヒメネスJRのヒメネス一家によって牽引されてきたTEX MEXアコ・スタイルとは楽器への発想がまさに対極なのである(フラーコでも十分モダンだが)。
そして目の前で観ているにも関わらず、その運指が残像さえも残らないくらいに早い!!!!
なんか夢を見ているようでした(笑)。
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そしてもっと凄いのが、サインをもらえないし、写真も撮れなかったこと・・・・
僕はサインをもらうことに関しては相当図々しいほうなのであるが(笑)。
過去とんでもないことをしたのは・・・・
渋谷「ライブ・イン」で観たボビー・ブルー・ブランドのライブの時に来ていたギタリストのウエイン・ベネットが好きすぎて、ライブ終了後ステージを縦断してして裏にあった楽屋に侵入、そして主役のブランドさんを差し置いて彼にだけサインをもらった(ブランドさんのサインをもらわなかったことは相当後悔しているが:笑)。それも授業のあとにライブに行ったので、「米文学概論」の本にしてもらった(笑)。
かたや「英文学概論」の本にしてあるサインは上田”キー坊”正樹だ。明大前から笹塚のアパートに京王線で帰ろうとしたら、電車にキー坊が乗っていたのだ!!サウス・トゥー・サウス&有山さんとの「ぼちぼちいこか」の熱烈なファンであった僕はそわそわしまくり、代田橋で降りた彼を追跡し、甲州街道に出る手前で遂に彼を「ストーク」してしまった(笑)。で、もらったのが英文学概論の本・・・・・
もっと凄いのがスリム・ゲイラード。伝説のジャイブ・シンガーだが、インクスティック芝浦の2度目の来日ライブではなんと演奏中にサインをもらった(笑)。
演奏中に彼がダンスをしながら客席に下りてきたのだよ!!
出待ちでもコネを使ってでも、なんとしてでも絶対この人に逢いたい、と思っていた僕はすかさず近づいてきた彼の目の前に、持ってきたレコードとペンを差し出した。ビックリした彼は、それでも嫌な顔をひとつもせずサインをしてくれました。
これはホントに宝物です。その時握手してもらった彼の手の大きさは一生忘れないでしょう・・・・・
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まぁ、そんな僕でも(笑)スティーブ師匠には近づきもできなかった・・・・
事前から「変わり者の変態だ」というのは聞いていた。いきなり銃をぶっ放したりしたというのは来日時から好きものの間で噂になっていた。
ファースト・ステージ終了後の休憩時間に、彼はビールを飲みながら僕の目の前にいたのである。
当時あった「ロンズ・レコード2号店」を仕切っていたカップルと談笑していた。
彼らとも顔見知りだったので、中に入れたとは思うのだが・・・・
でも無理だった。
背中から溢れ出る「殺気」が凄かったのであります・・・・・
「こいつ、本当にヤバイ人だ」と本気で感じたのは後にも先にもこの時しかない。
人生で唯一、人の殺気にビビッた瞬間でした(笑)。
多分知らない人が大半だと思うので・・・・
こんな方です!!!!リスペクト!!!!!!
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・・・・・・あ、結局今日は一人しか紹介できてない・・・・・・
相変わらずグダグダな企画でありました!!
以下次号
2010/02/18
また話がずれた・・・・・
冬季オリンピック、全然観れてない・・・・・
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92&93年は連続していったので、どちらの年に何を観たかが曖昧なんですが、その2年で観た印象的なライブは何かなぁ、と思い出してみました。
ジャズ・フェス会場のフェアグラウンドよりも、前回の訪問で果たせなかったライブ・ハウス巡りを中心にしてたかな?
むこうのライブのスタート時間は遅い。大体夜の10時くらいから。で、延々と夜中の3時くらいまでやってる。
「ライブ・ハウス」といっても、日本のように閉鎖的な空間ではなく、普通の路面店(1F)でドアや窓を開けっぱなしにしてて、音は外に漏れまくってる。
で、隣には普通に民家があるわけで(笑)。・・・・凄い環境です・・・・。
夜中、ティピティナスの隣の家の軒先でビールを飲んでる人がいたので、すごく単純な疑問をぶつけてみた。
「ねぇ、夜中まで隣でガンガン音出されてうるさくないの?」
そしたらこんな答えが
「こんなご機嫌な音楽が毎日タダで聴けるんだぜ、なんの不満があるんだい?『うるさい』と思うんだったら、ここに住まなければいい。そういうやつらはこの辺に住む資格はないんだよ」
・・・・・確かに・・・・ごもっともです。
「音楽ありき」のこの街の人々の感覚をちょっとうらやましく思いました。
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そうそう、書いておかなきゃいけないことはライブ・ハウスの音の作り方が日本とは根本的に違うんだよね。
日本のライブ・ハウスって、全ての楽器の音をマイクで拾ってまとめてPAから出すところが凄く多い。
たった50人くらいしか入らないところでも、こういう音の作り方って必要ですかね?
ドラム・キットのタムタムからハイハットまで、全てにマイクが立っていて、ドラムだけで一体何本マイク使うんだろってたまに思う。
で、音がでかいほうが説得力があると思ってる人が実は多くて、ギリギリまで音を上げようとするからPAの人の技量がないと、ステージの脇にある二つのスピーカーから出てくるそのサウンドは、音の輪郭がまったくわからないカオスな時が凄く多い。
演奏している身としても、自分の音に「責任」が持てない。お客さんが聴いている「音」は演奏者のナマの音ではなく、PAの人が作った音なんだよね、実は。
ニュー・オーリンズに「カフェ・ブラジル」というライブ・ハウスがあって、そこでイグアナスというバンドを観たんだけど。
そこの大きさは、感覚的には渋谷クアトロのフロアくらい。だから200人くらいは十分入ると思うんですが。
イグアナスの編成は、ドラム、ベース、ギター&アコーディオン、サックス×2
使っていたマイクの本数は、
ドラムはバスドラに一本、上から吊るしたの一本
サックス、二人で一本
ヴォーカルで二本
ギター&ベース・アンプに各一本
アコーディオンに一本
計8本。それだけ。
基本はドラムの生音の音量に全てあわせ、そこに足らない音量をマイクを使って足していく、という発想。
でもドラマーが古いグレッチのドラム・キットを的確にヒットして凄く「抜ける」音を出しているので、音量が足らなくて迫力がないという印象はまるでなかった。
一番後ろで観ていても、十分各楽器の音がバランスよく響いていたし。
そしてPAが最小限のことしかしていないおかげか、各楽器のニュアンスが凄くよくわかって、演奏に説得力があった記憶があります。
音を人工的に増幅する弊害はいろいろあって、各プレイヤーがその楽器を「鳴らす」基本的技術をおろそかにしてしまう傾向があるんだよな。
僕はギター弾きなので、凄く気になるのはその楽器を「鳴らし切れてるのか」ということ。
ヴォーカルもそうだ。PAで増幅してしまうと、喉だけで唄ってもそれなりに客席に届いてしまうので、「腹から」声が出ているのかがおろそかになってしまう。
音楽を底辺で支える小さいライブ・ハウスがそういうところが多いから
だから唄が下手なやつが多いんだと思う。
生音でどれだけ勝負できるか
音楽やってる若い奴らには、是非忘れないでもらいたいことです(笑)。頑張れよ〜!!!
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ということで、むこうのライブ・ハウスから外に漏れる音は、そういう音作りを基本としているので、意外とうるさくないのです。
日本の「クラブ」みたいに、なんだかよくわからんけどカオスな大音量の低音が近隣住民を苦しめる、ということはほとんどない。
ちゃんとメロディと音楽が聴こえる(笑)。
そういうのは心地いいので邪魔にならないのだな。なんとなくわかります。
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2回連続で、話がずれまくりましたねぇ・・・・すみません!!
まぁ飲みながら書いてるのでね(笑)。与太話にお付き合いくださいまし。
以下次号
ほんとに今回で終わるのか?(笑)
ということで、前回の続きです。
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細野氏の盟友、久保田真琴率いる夕焼け楽団の実質5枚目のアルバムはその名もずばり「セカンド・ライン」。ドクター・ジョンの「GUMBO」に対する彼なりの答えであります。
夕焼け楽団はニュー・オーリンズというより、よりスワンプ的なアプローチをしているかな?多分彼らの意識はザ・バンドとかリトル・フィートとかライ・クーダーみたいに、南部の音楽を包括的に捉えているんだと思う。
で、このアルバム。「IKO IKO」や「HEY POCKY AWAY」なんかのカバーは、もう出所がわかりすぎるほどまんまコピー(笑)なのだが、そういう人なんですよ真琴氏は。プロデューサーの立場になるといじくりまくって時としてオーバー・プロデュースになるが、自分が唄うとなると常に直球勝負なのだ。あくまでもライブ・バンドとしての自分たちを崩したくないかのようであります。
でも、ホントライブは凄い。あの時代に本場アメリカンな音を出してたバンドはそういない。・・・もしかしたら今でもそうかも。
けどいいアルバムです。特にオリジナル曲は秀逸。ニュー・オーリンズをスワンプ経由で表現した名盤だと思う。
このアルバム録音時にレヴォン・ヘルム&RCOオールスターズが来日していて、そのままそのメンバーがゲスト参加してます。
そして彼のニュー・オーリンズへのリスペクトは、当時のパートナー、サンディーを通じてニュー・ウエイブと昇華します。
そしていろんなことを経て、真琴っちゃんはまたこの辺に戻ってきた。PV撮影は大西君。
ついでに、こんなライブもあった。「オーティス栗原」が新宿のキャバレー[クラブ・ハイツ」でやったライブのゲストがTIN PAN+マコっちゃん。そこにキヨシさんが飛び入り。やった曲は大瀧氏の「ハンド・クラッピン・ルンバ」。・・・いろんなことがこんなところで繋がったりする(笑)。こんな面子と一緒に演奏できたユーコは本当にうらやましい・・・・
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最後はこのアルバム。
日本人とニュー・オーリンズの関係を語る上で最重要人物の一人、ロニー・バロン。
ドクター・ジョンことマック・レベナックの幼なじみで、本当はロニーが「ドクター・ジョン」を名乗ることになっていた。
そのマックのアルバム「GUMBO」の中のプロフェッサー・ロングヘアの曲「BIG CHIEF」でオルガンを弾いているのが彼。ポール・バターフィールドのベター・デイズでの活動が特に有名であります。
日本勢との交流は夕焼け楽団の「DIXIE FEVER」への参加からかな?
で、このアルバム。プロデュースはハリー細野。Co.プロデュースは久保田真琴。11曲中、4曲がバッキング・トラックをニュー・オーリンズで録音。N.O.録音はミーターズ+ドクター・ジョン。残り7曲は日本のミュージシャンによって行われた、MADE IN JAPANのレコードなのですわい。
メンバーはDr林立夫&上原ユカリ、B細野晴臣&恩蔵隆、G鈴木茂&伊藤銀次&井上憲一、Per斉藤ノブ・・・・
そう、ティン・パン・アレイとナイアガラと夕焼け楽団というN.O.ミュージックを知り尽くしたポンニチ人たちが総力を挙げて本場のオーリアンをサポートしているのであります!!
で、出来栄えは???
もう最高です(笑)。78年という米ではディスコ全盛、英ではパンク興隆という時期を考えると、もっともニュー・オーリンズらしい音が日本から生まれたのだ。ミーターズ録音と比べてもまったく遜色なし。というか、どれがミーターズなのだかクレジットがないのでわかりません。そのくらい全編がスムースに流れていきます。
これ、宣伝用のプロモ盤も持っているのだが、それによるととりあえず「MOON SHININ' BRIGHT」と「RUNNING SOUTH,RUNNING NORTH」はミーターズだそうで。
あと、これは本人に聞いたのですが、ユカリさんが叩いているのが「HONEY、HONEY」。もう一曲やってるそうだが忘れました。
「ユカリさん、ロニーのセッションどうでした?」って訊いたら
「とにかくねぇ、声が綺麗で無茶苦茶唄がうまくてビックリしたよ」って言ってました。
日本からのかの地に対する愛がこのアルバムを生み、そして「悪魔の戯れ」というチャンキー・ガンボな作品が遂に本場のミュージシャンに手渡されたのであります。
え?
聴いた事ない???
ダメです。この機会に是非買ってください!!!
こんなCD、どうせすぐ世の中から抹殺されてしまうのだから、出ているうちに購入しておいたほうが身のためです。アナログ盤探すの、大変ですよ〜〜。僕は7年かかってようやくゲットいたしました。
YouTubeを観たら意外や意外、ロニーの映像が残ってました。
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ということで、「HAVANA MOON通信」と連動したニュー・オーリンズ編、ようやく終了です〜〜〜〜!!
いやーかかりましたね〜。こんなにダラダラ書くとは自分でも思っていなかったです。でもホントはまだまだ書ききれていないんだな(笑)。続きはお店で、ね。
ということで、次回は英国ベスト100&昭和歌年鑑に戻りつつ(忘れてません!!)、HAVANA通信第3号の執筆にとりかかりますー。
おそまつさまでした。