2010/02
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2010/02/18
また話がずれた・・・・・
冬季オリンピック、全然観れてない・・・・・
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92&93年は連続していったので、どちらの年に何を観たかが曖昧なんですが、その2年で観た印象的なライブは何かなぁ、と思い出してみました。
ジャズ・フェス会場のフェアグラウンドよりも、前回の訪問で果たせなかったライブ・ハウス巡りを中心にしてたかな?
むこうのライブのスタート時間は遅い。大体夜の10時くらいから。で、延々と夜中の3時くらいまでやってる。
「ライブ・ハウス」といっても、日本のように閉鎖的な空間ではなく、普通の路面店(1F)でドアや窓を開けっぱなしにしてて、音は外に漏れまくってる。
で、隣には普通に民家があるわけで(笑)。・・・・凄い環境です・・・・。
夜中、ティピティナスの隣の家の軒先でビールを飲んでる人がいたので、すごく単純な疑問をぶつけてみた。
「ねぇ、夜中まで隣でガンガン音出されてうるさくないの?」
そしたらこんな答えが
「こんなご機嫌な音楽が毎日タダで聴けるんだぜ、なんの不満があるんだい?『うるさい』と思うんだったら、ここに住まなければいい。そういうやつらはこの辺に住む資格はないんだよ」
・・・・・確かに・・・・ごもっともです。
「音楽ありき」のこの街の人々の感覚をちょっとうらやましく思いました。
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そうそう、書いておかなきゃいけないことはライブ・ハウスの音の作り方が日本とは根本的に違うんだよね。
日本のライブ・ハウスって、全ての楽器の音をマイクで拾ってまとめてPAから出すところが凄く多い。
たった50人くらいしか入らないところでも、こういう音の作り方って必要ですかね?
ドラム・キットのタムタムからハイハットまで、全てにマイクが立っていて、ドラムだけで一体何本マイク使うんだろってたまに思う。
で、音がでかいほうが説得力があると思ってる人が実は多くて、ギリギリまで音を上げようとするからPAの人の技量がないと、ステージの脇にある二つのスピーカーから出てくるそのサウンドは、音の輪郭がまったくわからないカオスな時が凄く多い。
演奏している身としても、自分の音に「責任」が持てない。お客さんが聴いている「音」は演奏者のナマの音ではなく、PAの人が作った音なんだよね、実は。
ニュー・オーリンズに「カフェ・ブラジル」というライブ・ハウスがあって、そこでイグアナスというバンドを観たんだけど。
そこの大きさは、感覚的には渋谷クアトロのフロアくらい。だから200人くらいは十分入ると思うんですが。
イグアナスの編成は、ドラム、ベース、ギター&アコーディオン、サックス×2
使っていたマイクの本数は、
ドラムはバスドラに一本、上から吊るしたの一本
サックス、二人で一本
ヴォーカルで二本
ギター&ベース・アンプに各一本
アコーディオンに一本
計8本。それだけ。
基本はドラムの生音の音量に全てあわせ、そこに足らない音量をマイクを使って足していく、という発想。
でもドラマーが古いグレッチのドラム・キットを的確にヒットして凄く「抜ける」音を出しているので、音量が足らなくて迫力がないという印象はまるでなかった。
一番後ろで観ていても、十分各楽器の音がバランスよく響いていたし。
そしてPAが最小限のことしかしていないおかげか、各楽器のニュアンスが凄くよくわかって、演奏に説得力があった記憶があります。
音を人工的に増幅する弊害はいろいろあって、各プレイヤーがその楽器を「鳴らす」基本的技術をおろそかにしてしまう傾向があるんだよな。
僕はギター弾きなので、凄く気になるのはその楽器を「鳴らし切れてるのか」ということ。
ヴォーカルもそうだ。PAで増幅してしまうと、喉だけで唄ってもそれなりに客席に届いてしまうので、「腹から」声が出ているのかがおろそかになってしまう。
音楽を底辺で支える小さいライブ・ハウスがそういうところが多いから
だから唄が下手なやつが多いんだと思う。
生音でどれだけ勝負できるか
音楽やってる若い奴らには、是非忘れないでもらいたいことです(笑)。頑張れよ〜!!!
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ということで、むこうのライブ・ハウスから外に漏れる音は、そういう音作りを基本としているので、意外とうるさくないのです。
日本の「クラブ」みたいに、なんだかよくわからんけどカオスな大音量の低音が近隣住民を苦しめる、ということはほとんどない。
ちゃんとメロディと音楽が聴こえる(笑)。
そういうのは心地いいので邪魔にならないのだな。なんとなくわかります。
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2回連続で、話がずれまくりましたねぇ・・・・すみません!!
まぁ飲みながら書いてるのでね(笑)。与太話にお付き合いくださいまし。
以下次号
2010/02/15
JAZZ FESTに行くぞ〜 1992,93年 その1
先ほど、「WE ARE THE WORLD」のニュー・ヴァージョン・クリップを観たが、全くといっていいほど唄ってる人がわかりませんでした・・・・。
わかったのは、トニー・ベネット、マイケル&ジャネット・ジャクソン、ジェイミー・フォックス(レイ・チャールズの真似してた:笑)、ファーギーくらいかな。・・・・なぜファーギー知ってるんだろ??
完全に世の中とリンクしていない自分を再認識(笑)。けど、まったく問題ナッシング。もう余生ですから。音楽は世の中の流れなぞどうでもよく、好きなものを好きなように聴いていこう、と決めてからもう随分経ちます。
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88年のニュー・オーリンズ初訪問で心残りだったのは、全くと言っていいほどフレンチ・クオーターから外に出なかったこと。
やっぱりビビッてたのかな??
この街の旬な音楽は、フレンチ・クオーターから出て街外れのライブ・ハウスに行かないと触れることはできないのである。
プロフェッサー・ロングヘアが経営していた伝説の「ティピティナス」にも行かなかったし。
ということで、早々と再訪を決意(笑)。
結局その後、2回この地を訪れることとなりました。
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2度目の訪問は92年。26歳の時。
この時はサラリーマンをやっていたので、長期休暇などなかなか取れるもんではない。
唯一誰もが納得して取れるとしたら・・・・そう「新婚旅行」なのだ(笑)。
ということで、行ってきましたよ。無茶苦茶忙しかったのに、強引に2週間の休みを取って。
この年はニュー・オーリンズ〜プエルト・リコ〜カリブ海のマルティニーク島へ。
そして、その期間中、無茶苦茶忙しかった仕事を後輩に任せて旅立ってしまったことが気になり、会社に電話を入れてみた。
「大丈夫?なんか困ったことはない??」
「いや〜仕事は大丈夫ですけど、池袋は大変なことになってますよ!!
O崎YTKが死んだんですよ!!もうサンシャインの裏の葬儀場の護国寺がパニックです!!!」
・・・・・不謹慎だが、笑ってしまった。
彼とは同い年なのだが、全くといっていいほど歌詞の内容に同調するものがなかったので。
同じ時代の空気を吸っていたはずの同世代が、こんなアホで非現実的なことをのたまいているのがまったくわからなかった。
ブルジョアで高学歴の人間が、ちょっと人生に迷った時の発想しかないんだよな。
貧乏で田舎育ちの人間たちは、もっとシビアでタイトな高校生活を送ってましたよー(笑)。
そしてこの年。
ニュー・オーリンズでテレビを観ていたら、ロス・アンジェルスの街が炎に包まれていた。
ロスで大規模な暴動が起きていた。
アメリカは現在に次ぐ大不況に見舞われていた。
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3度目の訪問は翌年の93年。27歳。
まだライブを観たい。とにかくもう一度訪問したい。どうやったら長期休暇を取れるのか・・・・?
唯一誰もが納得して取れるとしたら・・・・今度は会社を辞めるしかなかった(笑)。
この時は既に「店をやろう」っていう気持ちも固まっていたので、最大の目的は「ガンボの作り方を教わりに行く」というものでしたが。向こうで知り合った日本人の方が料理人を紹介してくれる、ということだったのでね。
今度は2ヶ月近く旅行した。
ハワイ〜ニュー・オーリンズ〜ラフィエ〜マルティニーク〜バルバドス〜マイアミへ。
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その後、今に至るまで
あれから飛行機に乗る機会は未だ訪れていない。
パスポートも期限が切れて久しい。
もう海外に行くこともないかもなぁ・・・・(苦笑)
今度行くとしたら
という「夢」であるが。
もうアメリカは十分なので、やっぱりヨーロッパだな。
それもフットボール好きとしては、やはり本場のスタジアムを体験したい。
そうだなぁ・・・・
まずは大宮アルディージャと並ぶ、僕のサポート・チーム、スコットランドはグラスゴーのセルティック・パークを表敬訪問して(笑)、そこからスコットランド、アイルランド、イングランドの下部リーグのスタジアムを巡りたいなぁ・・・
もう昔からのボックス型のスタジアム、というかグラウンドをたくさん体感したいのです。
フットボールの醍醐味とか本質っていうのは、強い弱いではなく、どれだけ人々の生活に根付いているかと言うことなのでね、僕の場合。
音楽についても一緒なんですけど。
それから東欧諸国のフットボール場も行ってみたいな
それも全部自転車でね(笑)。
・・・・・ホント、これは残りの人生の唯一の夢なのだなぁ・・・・・・
そのためにはお金とヒマが必要だ。
実現するためには、やはりtotoBIGを買い続けないとなぁ。
いまのところ、僕が大金を手にする唯一の方法はこれしかないのだ(笑)。
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僕の知り合いのアメ公がいるのだが
この人は小説家を志望していて、生活を支えるために弁護士をやっていた。
結構優秀な弁護士だったらしく、昔、日本でも話題になったハワイでの占い師殺人事件とかも彼が担当していたそうだ。
彼はハワイでなかなか優雅な暮らしをしていた。世界一周できるくらいのヨットを所有していたり。
そんな彼からある日、一冊のペーパーバックが届けられた。
そう、遂に念願の作家デビューと相成ったのであった。
その後、彼から届いた話は・・・・
彼はハワイの安定した生活を切り上げ、奥さん(日本人)と小さな子供を連れて旅に出たのだ。
マンションもヨットも全部売り払い、一台のキャンピング・カーを購入した。
それに家族を含めた全ての財産を詰め込んで、彼はアメリカ本土を巡る旅に出た。
これからの人生を納得して生活するための場所を探す旅だ。
それはまる一年に及んだ。
過程については話を訊いていないが、どうやら終生の地にコロラドのデンバーを選んだらしい。
目的は違うが、まるでかのジョン・スタインベックの小説「チャーリーとの旅」を髣髴とさせる旅だ。
・・・・そういえば、彼とはスタインベックの話でたいそう盛り上がったなぁ・・・・・
ちょっとうらやましいですね。僕もこんなことしてみたいなぁ。日本中をゆっくり旅をして。
僕の場合、当然自転車ですけどね(笑)。
そしてその土地の人々や食べ物に触れながら、自分がこれから生きていくベストな場所を探せたら最高の「旅」だな。
まぁ、それまではここ吉祥寺がベストなんですけどね。音楽やフットボールなどを通して沢山の友人に囲まれて生活しているし、ね。
けど、こんなところでもちょっと「都会過ぎる」と感じてはいますが(笑)。
それを実現するためにも、地道にtotoBIGを買い続けるしかないのだな・・・・頑張れ、6億ゲット!!(笑)
この発想自体がダメすぎますよね・・・・・・
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あぁ、まったく話がそれてしまいました。すんません!!!
次回はちゃんとNOの話に戻します〜
2010/02/09
JAZZ FESTに行くぞ〜 1988年その2
祝!セインツ初優勝!!!
・・・といっても「アメリカン・フットボール」という名前なのに、ボールを蹴らない人間がたくさんいる競技を認めるわけにはいかないんですがね。まぁこれはまた別の話で。ね、K松君(笑)。
でもね、これで街が活気づけば素晴らしいことだと思います!!これでマルディ・グラ〜ジャズ・フェスの5月まで、この街はお祭り騒ぎなんだろうなぁ・・・・よかったよかった・・・・・。
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さて、いよいよ会場の「フェアグラウンド」に足を踏み入れたのであります。
とにかく夢のような日々でした・・・・。それこそたくさんのライブに遭遇いたしました。この年で思い出せる有名ミュージシャンは・・・・
BBキング、ジェイムス・ブラウン、アル・グリーン、アルバート・コリンズ、リトル・フィート、ロス・ロボス、ウイリー・コロンなどなど
当然地元のミュージシャンもアホみたいに観れた。
アーマ・トーマス、ドクター・ジョン、アラン・トゥーサン、バックウィート・ザディコなどはもちろんだが
衝撃だったのはなんにも予備知識がなかったニュー・オーリンズの奇才ギタリスト、スヌークス・イーグリンだ。
今でこそ何度か来日し、日本でも知名度が上がったが、当時はそんな名前を口にする人達など周りには皆無であった。
たまたまブラブラしていたステージで次のライブのセッティングをしていたのだが、よくみるとベーシストは顔を知っている人だった。ミーターズのジョージ・ポーターJrだ。
「あ、ジョージだ!!ちょっと観てみようかな?」
と最前列の柵にもたれかかり、ステージが始まるのを待っていた。
現れたのはちょっと猫背の盲目のギタリストだ。
ギブソンのシンラインのフルアコを持って椅子に座る。メンバーは彼とジョージ、そしてドラムはハロルド・バティステJrの3人。
「なんか、渋いブルーズでもかますんだろうな」
なんて思ったら一発目の音からとんでもなかった!!!!
バリバリ!!!グギグギ!!!コケ〜〜!!!ピギャピギャピギャ!!!!!
とそのギターからは50年代全盛期のゲイトマス・ブラウンよりも凄いのではないのか、と思わせるくらいのギンギラギンのギター・サウンドが飛び出してきたのであります・・・・・
しまいには背中でギター弾き始めるし
もう笑うしかなかった。あまりにも素晴らしすぎて(笑)。
僕の中では最大の「発見」でした。
帰国してから、それこそみんなに彼の名前を言いふらした。
「スゲーよ、スヌークス!!!おったまげたっすよ・・・」
その後、渋谷芽瑠璃堂で「発見」した彼のインペリアル時代のアルバムはそれこそ擦り切れるくらい聴いた。
ほどなくして、BLACK TOPというレーベルから彼の新作アルバムが次々と出されるようになった。
そりゃ、あれだけ凄いライブやってたらみんな放っておかないよなぁ。
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それから初めて観たマルディグラ・インディアン、ザ・ゴールデン・イーグルスのライブも衝撃でした。きらびやかなインディアンの衣装でパーカッションとチャントのみで繰り返されるコール&レスポンスはまさにカオス。もう僕はトランス状態(笑)。
YouTubeの映像では、ゴールデン・イーグルスのライブ映像はバンド演奏しかなかったので、他のマルディグラ・インディアンのライブを載せときます。こんな感じだったなぁ・・・・
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それから忘れられないのは・・・・
会場の中をザリガニをしゃぶりながらブラブラ歩いていたら、どこからともなく管楽器と太鼓の音が聞こえてきた。
それがどんどんこちらのほうに近づいてくるのだ。
僕も音につられて近寄っていった。
すると、それはなんとダーティー・ダズン・ブラス・バンドが会場の中をパレードしていたのだった(笑)。
当然ノーマイクで。そのまま昔ながらのマーチング・スタイルでのパレード。大勢の人を引き連れてフォンキーなサウンドを奏でていたのだ。
僕もその人の群れに紛れ込んで、オーリアンよろしく大パレードだ!!
これまたバンドは違うけど、まさにこんな感じでした。
こんなの体験したら人生観変わりますよ、ほんと(笑)。
最近のDDBBはドラム・キットを入れたりギターを入れたりで随分様替わりしたが、あのファンキーさは健在である
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目当てのアーティストがいない場合は、よく「ゴスペル・テント」で時間を潰した。
ここでは地元のゴスペル・クワイア(合唱隊)が延々と唄い続けているのだが、上手い下手とか関係なく、そのエネルギーに圧倒され続けた。
僕は無宗教だけれど、これを体験するといろいろ考えちゃいますね(笑)。これは「アリかな?」と。。。。文化の違いをまざまざと感じましたねぇ。
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会場でのライブがない時は、フレンチ・クーオーター内を散策して、ストリート・ミュージシャンとジャムったり喋ったりしていた。
ある時、ジャクソン広場の一角で演奏する若い奴らのブラス・バンドに出くわした。
演奏は非常に拙いものだったが、なんか微笑ましくてズ〜ッと聞き入っていた。
終わったあとリーダらしきトランペッターが話しかけてきた。僕と同じ歳だったかな?
「どうだった?俺たちの演奏は????まだまだだけど、俺たちはやり続けてビッグになるんだ!!俺たちの名前を覚えていてくれよ!!!!」
・・・・帰国後、いつものように芽瑠璃堂に寄ると、見慣れないブラスバンドのレコードがあった。
ジャケットにはどこかで見た顔が・・・
「あ、彼らだ・・・・」
アーフリーから出ていたそのレコードのリリース年は1984年。レコード出してたんだ〜!!
そのバンドの名前は「リバース・ジャズ・バンド」後のリバース・ブラス・バンドだった。
演奏はホントに拙いけど(笑)、僕はこのレコードが大好きだ。「気持ち」が感じられるんだよな、なんか。
僕と話していたのはカーミ・ラフィン。
彼は今や「21世紀のサッチモ」と言われるくらいのニュー・オーリンズを代表するトランペッターになった。
おめでとう!!凄いなぁ・・・・・・「継続は力なり」だね。
以下次号・・・・・
2010/02/08
JAZZFESTに行くぞ〜! 1988年 その1
なんだか意図せず、すっかり「旅行記」の様相になってきましたが・・・まぁいいか。自分の価値観みたいなのを随分決定づけたものなのでね。書いておかないと。
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さて、ようやくフレンチクオーター内の宿も決まり、当時まだあった「ハードロック・カフェ」もおのぼりさん感覚で詣で(ホントにどうでも良かったが)、念願のガンボも食し、いよいよ目的のジャズフェスの会場に向かうことになった!!
「NEW ORLEANS JAZZ FEST」は1970年にコンゴ・スクエアで始まった小さなフェスティバルだったが(と言っても、一回目の出演者にはデューク・エリントンとマヘリア・ジャクソンというとんでもない名前がある!!)、郊外にある競馬場「フェアグラウンド」に場所を移し、今やアメリカ最大の音楽フェスティバルとなった。
競馬場に設けられた9つのテントで繰り広げられる音楽は多種多様だ。「ジャズフェス」という名前ではあるが、ジャンルは全くもってガンボのようにごった煮。ロック、フォーク、トラディショナル・ジャズ、ゴスペル、クレオール・ミュージック、ブルーズ、R&B、ソウル、ラテンなど、有名ミュージシャンから地元のアマチュアグループまでなんでも観れてしまう、夢のような日々が送れる場所なのであります!!
チケット代も安い!!・・・いや安かった(笑)。
今調べたら2010年は60ドルもしたらしいが、それでも新潟でやってるのに日本最高峰の山の名前を冠したウンコフェスに比べたら遥かに安いでしょ?
ちなみに1988年当時のジャズフェスの入場料はなんと10ドル。当時の為替は120円くらいだったから、なんと一日1200円で見放題なのだよ・・・。
これを経験しちゃってる身としては、やっぱりいろんな矛盾を感じて、苗場へ行こうという発想すら浮かばないんですよね。
その前に、その金を払って観たいと思うミュージシャンが一人もいないんですけどね(笑)。
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カナル通りの真ん中にあるバス乗り場から、僕とS崎はフェアグラウンドへ向かった。
バーガーキングがあった交差点を右折し、会場付近で「それらしき」人達がみんな降りるので、僕らもバスをあとにした。
音楽って、ある風景と密接に繋がって脳裏に焼きこまれるものなのだが、僕の場合・・・・
そんな場所に出くわした。
フェアグラウンドに歩いて向かうのには、周辺の黒人居住区を通り抜けなければならないのだが。
その道端に無造作に喰い捨てられていた無数のクロウフィッシュ(ザリガニ)の殻と共に思い出すのがある光景。
そんなに大きくない一軒家の軒先で、腰つきの大きいロイクの婆ちゃんが洗濯物を干していた。
ちっちゃなトランジスタ・ラジオからどこからともなく流れてくる唄に彼女が合わせてハミングしていた。
その曲はミリー・リパートンの「ラヴィング・ユー」だった。♪シャラ・ラ・ラ・ラ〜シャラ・ラ・ラ・ラ〜♪というあの曲だ。
まるで映画の1シーンのようだった・・・・僕の中では・・・・・
今でもあの曲を聴くたびにあの光景を思い出すんですよねぇ〜。なぜだか凄く幸せな1カットとしてね。
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そして忘れられない出来事があった。
会場に向かう時、ある白人のカップルが僕らに話しかけてきたのである。
「ヘイ!!ジャズフェスに行くのかい??
僕ら7ドルの前売りチケットが一枚余ってるんだけど、よかったら買ってくれないかな?」
先ほど書いたように当日チケットは10ドルである。3ドルも安い。迷わず僕は「いいよ〜」と言った。
なんだ、アメリカ人って優しい人ばっかりじゃないか!これぞ南部ホスピタリティなんだな・・・なんて思ってた。
ところが財布の中をみると、あいにくこまかいお金がなかった。
申し訳ないなぁ、と思いながら10ドル札を彼らに出した。
「ごめん、こまかいのがないんだけれど、おつりあるかな?」
すると彼らは僕の10ドル札を鷲づかみにしてこう言ったのだ。
「おお!!ありがとう〜!!!ラッキーだよ!!!」
と言って、彼らは僕から足早に過ぎ去って行こうとしたのである。
僕は当然こう言った。
「ちょっと待ってよ!!僕は今10ドル札を出したけど、おつり3ドルがあるか訊いたんだよ・・・・」
そしたら彼はこう言った。
「僕は7ドルでイイって言ったよね?けど君は10ドル出した。当日券は10ドルだ。君はなんの損もしていない。僕が7ドルと言ったのに10ドル出した君の責任だよ。僕はラッキーだった。アリガトね〜」
言葉が通じなかったのが問題だったのか???
いやいや、この時は一応現役英文科の学生である。このくらいの日常会話くらいはこなせる。
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確かに僕は「損」はしていない。普通に10ドルの当日券を買おうとしていたのだから、そのまま流せる問題だ。
けど、こういう発想自体がビックリしたのである。「これって俺の『責任』なんだ・・・・」
確かに彼は「Your responsibility」という言葉を使ったのだ。
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この旅行で、実は「アメリカに永住したい」という密かな野望を持っていたのだった。
こんなに素敵な音楽を生み出したこの国で全てを知ってみたい、と本気で思ってた。
けどこの「事件」を契機に、僕の彼らに対する不信感は一気に強まった。不信感というか、相容れない感かな?
まぁ非常にステレオタイプの見方ではあるが。あれから20年以上経つが、基本的に僕の知り合ったアメ公はすべてこの種類の生き物だ。
どんなに仲良くなろうとも、最終的にはこの「発想」のもとに人格が形成されている。
なんで、こういう発想になるのか?
だから未だに僕にとっての「アメリカ」とは興味の対象ではあるのだが。
大して突っ込んではないけれど、根本思想であるキリスト教の各宗派についてもちょこっと勉強してみた。
もともとが英国国教会から逃れた清教徒(ピューリタン)が作った国である。アメリカが拡大した理由に彼らのプロテスタント的思想の「大義名分」が根本にある。ここでは詳しく述べないが。
だからこそ自己責任が身上であり、だからこそその「自由」の国、アメリカに流れてきたカトリック寄りの「移民」たちが素晴らしい民衆の唄を生み出すのだが。・・・・・いやいや軽々しく書ける内容ではないな・・・・・この件はもうちょっと勉強してからにします・・・・・。
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ともかくだ。
今の僕は「アメリカ」が大嫌いだ。
全てはこの事件に由来する。
嫌いというか、この発想を持つ人間になりたくないのだ。
そもそも世界中の人々が愛する「フットボール」という競技を理解し得ない人達に何を話すことがある???(笑)
彼らは世界の「異端」であり、人類史上最大規模の「実験国」なのである。
で、それは21世紀の今、「失敗」としていよいよ我々の前に結論を見出そうとしている。
それに気がついていないのは当の本人達だけなのだ。そしてGHQにより思想統制をされた事に気づかない日本人達・・・・
しかしながら僕は
アメリカが生み出した音楽を愛好し、ジーンズを愛し、楽器を愛し、Tシャツを愛し、アメリカ50年代の文化遺産のスタイルを生活の基盤としている。
大いなる矛盾だ(笑)。
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僕はこのアメリカに対する矛盾を抱え毎日を生活している。
店のブラウン管から漏れているのはフットボール、しかしスピーカーからは基本的にアメリカという国から生み出された音楽だ。
けど・・・・・
今考えるのは、矛盾を抱えていない人間なぞ信用できないだろ?ということ。
人間誰でも矛盾を抱えて生きている。
そのことを隠して、もしくはごまかして生きていくのか?
それともそのことをはっきり認識して、それでも自分に嘘はついていないから全部受け入れて「笑いながら」生きていられるか?
僕は後者を信用する。
人生に矛盾のかけらもない人達は、もはや新興なんとかとか、啓発なんとかの域だと思う(笑)。
その人達はなんの迷いもないだろうから、それはそれで素晴らしいことだと思うが。だから僕はそのことに対してなんにも否定しない。
けど、僕の考え方とか嗜好とかと違うんだよな。
だからあんまり近寄りすぎないでくださいまし(笑)。ある程度の距離を保てば、うまくやっていけるので、ね。
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旅行中のこういういろんな事を契機として
僕は自分が「日本人」であるということ、というか、今住む場所で生きていくということを凄く意識するようになりました。
なんだすっかり話が本題とそれましたが(笑)。次はキッチリ戻します・・・・ゴメンネ・・・・・・
以下次号
2010/02/07
本日も営業いたします〜!
寒いっすねぇ・・・・寒い。。。。そして代表戦も×××
M氏がこう言いました。
「この冬は、今までの人生で一番寒い・・」と(笑)
昨日は、あの暴風の中、またしてもチャリで所沢まで買出しに行きましたが、あまりの風に死ぬかと思いました。チャリンコが全然進まない・・・。北関東空っ風で漕げず、しまいには降りてチャリを手押しせざるを得ないあの高校時代を思い出しました。
ということで、本日日曜日もいつものように営業いたします!!
お暇な方は寒さにめげず是非遊びに来てくださいまし!!!
ちなみに、先週日曜日は久々に休みを頂いたのですが
当然休みの日は飲むこと以外、やることが見当たらず
4〜5件はしごして2万5千円も使ってました・・・・
あ、当然風俗なぞ入ってないですよ(笑)そんな金あったらレコード買う人なので。
かつ移動時の記憶がまったくない。そう、僕はおそらく「どこでもドア」を持っているのだと思います(笑)
しかしなぁ、休んでいないほうが健康的に生活してるんだよなぁ
しょうもないなぁ、ホントに・・・・・
寄らせていただいたお店の方々、ご迷惑をおかけいたしました!!!
・・・・たぶん・・・・ね・・・・・・
2010/02/04
いよいよ上陸 NEW ORLEANS!!
遂にニュー・オーリンズ上陸です〜!!
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ということで、友人S崎を誘い、遂に初の海外旅行に行くことになりました。
時は1988年4月。目的は当然「ジャズフェス」を観るためだ。
まずはアメリカ大使館にてビザの発給を受ける。そう、当時はまだアメリカもビザが必要だったのだ・・・。やたら並ばれされ一日がかりの作業だった。
飛行機はデルタだった気がする。ポートランド〜ダラス・フォートワースを経由してニュー・オーリンズへ。そこからバスでメンフィス〜ナッシュビルへ向かう約1ヶ月の旅。
成田から15時間以上かかり、ようやくニュー・オーリンズに到着した。
空港のバゲッジ・クレームに向かう。すると・・・・・僕の荷物がない・・・・・似たようなバッグはあった。おそらく誰かが間違えてピック・アップしてしまったのだろう、とのこと。
いきなり大トラブル(笑)。
受難はまだまだ続く。
ニュー・オーリンズのイヴェント時のホテル事情をまったく理解していなかった。
「まぁなんとかなるだろう」とタカをくくっていたのである。
とりあえず空港からシャトルバスで「地球の歩き方」で見たホテルまで運んでもらった。
ポーターにチップを渡し、ホテルの中へ。
「Do you have a room?」
しかしながら、ホテルマンは首を横に振るばかり・・・・・
時刻はもう夕方。フレンチ・クオーター内のホテルを何件か回ってみるが全て満室・・・・
夕暮れが迫っている。土地勘もない初めての場所だ。
わけもわからず、とりあえずカナル通りをトボトボと歩く情けないポンニチの二人。
遂にフレンチ・クオーターの端まで来てしまった。辺りはますます暗くなる。
右側に駐車場が見えた。ガタイのいい、警備員が見える。ふと右腰に目がいく。
・・・・・・・・・・ホンモノの拳銃だ(笑)・・・・・・・・・・・
そう、ここはアメリカなのだ。銃を持つのが身を守る常識の国。
荷物もない、ホテルもない、挙句の果てに真っ暗闇、って俺は吉幾三か(笑)
そんな時、あまりにも情けない姿をみるにみかねたのか、一人の白人が僕らに声をかけてきた。
「おい、おまえらどうしたんだ???なんか困ってるのか???
・・・・ん?宿がない??
そうか・・・空いてるかどうかわかんないけど、この先の左側に一軒あるから、ちょっと行ってみな」
おおっ!!!鬼畜米英アメリカ人、なんと優しいのだ!!!こんな敗戦国の若造を助けてくれるなんて!!!
ワラにもすがる気持ちで、そのホテルまで歩いた。歩くこと約10分、なんとかたどり着きロビーに赴いた。
なんと偶然にも一部屋キャンセルが出た、という。
助かった〜〜〜〜。♪おいらは宿無し byツイスト♪にならずに済んだ・・・・。そんな唄が出てくる余裕などひとつもなかったが(笑)
とにもかくにもようやく宿が確保できた。僕の間違えた荷物も空港に連絡を取ってくれて、明日届くという。
こうして初日にして南部の「ホスピタリティ」に触れることができた、忘れられない日となったのです。
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宿が確保できた途端、急激にお腹が空いてきた。
ニュー・オーリンズといえば飯である。ガンボ、ジャンバラヤ、エトゥーフェ、レッドビーンズ・アンド・ライスなどなどご当地の名物料理はいくらであるのだ。
しかし、夜も更け、生拳銃を目の当たりにした我々には店を探す余裕など一つもなかった。
とりあえず腹ごしらえのためだけに入ったのは、近くにあったチャイニーズ・レストランだ。
普通「中華」といえば、とりあえずそんなにハズレがなく、どんなものでも目をつぶれるものだが
ここの料理は今までの中華の概念を根本から覆すほどマズかったのであります(笑)。
どんな料理ベタな奴の「創作料理」でも、ここまでマズイものには未だかつて出会ったことがない。
こいつらに「クックドゥー」を教えてやりたいよ・・・・・
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とりあえず上陸初日はなんとか過ぎた。
翌日はツーリスト・インフォに行って2週間滞在する宿探しからだ。
これはあとから気がついたことなのだが、このホテルに結局2日滞在したが、場所はカナル通りを北上して高速道路のあるすぐ手前にあった。
ニュー・オーリンズの街に詳しい人ならすぐわかることだが、実は相当危険でヤバイ場所である(笑)。
いやはや「知らない」ということは恐ろしいことですよねぇ・・・・何事もなくて本当によかった・・・・・・
以下次号
久々にパソコンのスウィッチをオンにして更新です〜
オリンピックどうなってる???・・・・全然観てない・・・・・
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92年と93年は連続して行ったので、どちらの年に誰を観たのかの記憶が曖昧です。
まぁその中で記憶に残るものをいくつかピックアップしてみます。
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当時はアコーディオンに異常なる興味を持っていて(未だにそうですけど)、アコ音楽ばっかり聴いていた。この前後にボタン・アコを江古田の「クラン・レコード」で購入していたのだが、なんにも情報がなく、どうやって弾いたらいいのかまったくわからない状態だった。
確か92年にニュー・オーリンズに行く直前にスティーブ師匠は来日していて
場所は渋谷クアトロ。
そのライブも衝撃だった。
なにせそのルックスである。
「ロン毛」に「アイパッチ」そして3ピースの黒い細ストライプのスーツの「社会の窓」はなぜか全開(笑)。
いや〜、観ているほうもどうしていいかわかりませんでしたよ・・・・・
そして今回は一番前で、そして僕のわずか2メートル手前でその脅威のプレイを目の当たりにしたのであった!!!
場所はフレンチ・クオーター内の「スナック・ハーバー」だ。
彼の弾いているホーナーのコロナ・ツーというアコは「ダイアトニック式」と言われるもので
ハモニカが3本入っていると思えばわかってもらえるかもしれない。
ハモニカは1つの穴を吹くのと吸うので音が変わるでしょ?それと一緒で、ひとつのボタンを押しても蛇腹を押すのと引くので音が変わるのだ。
普通のアコ奏者は蛇腹を押したり引いたり、結構マメにおこなってフレーズを作っていくのだが、スティーブ師匠の場合はそんなの関係なく、蛇腹を押しっぱなしだったり引きっぱなしだったりで、楽器の構造上「ありえない」ような6度の音を挟み込んでくるのです!!!まるで鍵盤アコの「クロマッチック」のようなスムースさである(クロマッチックはひとつの鍵盤に対し、蛇腹を押しても引いても音階は変わらない)。
ドン・サンティアーゴ〜フラーコ〜ヒメネスJRのヒメネス一家によって牽引されてきたTEX MEXアコ・スタイルとは楽器への発想がまさに対極なのである(フラーコでも十分モダンだが)。
そして目の前で観ているにも関わらず、その運指が残像さえも残らないくらいに早い!!!!
なんか夢を見ているようでした(笑)。
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そしてもっと凄いのが、サインをもらえないし、写真も撮れなかったこと・・・・
僕はサインをもらうことに関しては相当図々しいほうなのであるが(笑)。
過去とんでもないことをしたのは・・・・
渋谷「ライブ・イン」で観たボビー・ブルー・ブランドのライブの時に来ていたギタリストのウエイン・ベネットが好きすぎて、ライブ終了後ステージを縦断してして裏にあった楽屋に侵入、そして主役のブランドさんを差し置いて彼にだけサインをもらった(ブランドさんのサインをもらわなかったことは相当後悔しているが:笑)。それも授業のあとにライブに行ったので、「米文学概論」の本にしてもらった(笑)。
演奏中に彼がダンスをしながら客席に下りてきたのだよ!!
出待ちでもコネを使ってでも、なんとしてでも絶対この人に逢いたい、と思っていた僕はすかさず近づいてきた彼の目の前に、持ってきたレコードとペンを差し出した。ビックリした彼は、それでも嫌な顔をひとつもせずサインをしてくれました。
これはホントに宝物です。その時握手してもらった彼の手の大きさは一生忘れないでしょう・・・・・
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まぁ、そんな僕でも(笑)スティーブ師匠には近づきもできなかった・・・・
事前から「変わり者の変態だ」というのは聞いていた。いきなり銃をぶっ放したりしたというのは来日時から好きものの間で噂になっていた。
ファースト・ステージ終了後の休憩時間に、彼はビールを飲みながら僕の目の前にいたのである。
当時あった「ロンズ・レコード2号店」を仕切っていたカップルと談笑していた。
彼らとも顔見知りだったので、中に入れたとは思うのだが・・・・
でも無理だった。
背中から溢れ出る「殺気」が凄かったのであります・・・・・
「こいつ、本当にヤバイ人だ」と本気で感じたのは後にも先にもこの時しかない。
人生で唯一、人の殺気にビビッた瞬間でした(笑)。
多分知らない人が大半だと思うので・・・・
こんな方です!!!!リスペクト!!!!!!
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・・・・・・あ、結局今日は一人しか紹介できてない・・・・・・
相変わらずグダグダな企画でありました!!
以下次号